「高倉健さんにすごんできた」プロ野球選手から俳優へ転身、日本一有名な“悪役”になった男の軌跡
世の中のために「悪役であり続けたい」と誓う
八名は80歳を過ぎて、初めて監督作品を手がけた。東日本大震災が起きたとき、気仙沼で暮らす『悪役商会』の仲間が被災。それを機に気仙沼と南相馬へ通うようになり、『悪役商会』の俳優たちとともに仮設住宅や仮設商店街、老人ホームを訪ねた。音響設備も何もない所でショーを行ったこともあった。 「あるとき、子どもたちに話を聞こうと思って、『今一番してもらいたいことは? 何かないか?』と声をかけたんだ。すると男の子が、『ばあちゃんと妹が流されて、まだ見つかっていません。今一番してほしいのは、一日も早く2人を見つけてもらいたい』と涙ぐんで訴えた。どうして悲しいことを、俺は言わせてしまったんだろう……自分が情けなかった」 帰京してもその子の顔が忘れられなかった。考え続けた結果、故郷、家族、人への思いやりを描く映画を作ることを決意した。 「『おやじの釡めしと編みかけのセーター』という題名で、脚本を書き続けた。被災した人たちに衣食住は提供できたかもしれない。でも、心の思いやりまでは渡せていないと思ったんだ」 2016年に発生した熊本地震のときは、復興を目指す熊本を舞台に2作目となる監督作品『駄菓子屋小春』を製作した。この作品では、被災した人々の心象を描くだけでなく、荒んだ心がいかに人を変えてしまうかを説いた。 「俺は空襲に遭った。逃げる途中、焼夷弾に街を焼かれ、たくさんの命が奪われた景色を知っている。同級生の女の子を助けられなかったことに、今も呵責を感じているんだ。劇中で、『戦争は人の心まで消し去る魔の消しゴムだ』というセリフが出てくる。人の心を考えていかないとダメなんだ」
多くの人がその人柄に惹かれる
八名は、世の中から思いやりが失われていると語気を強める。先日も、電車内で苦しそうに立っている老年女性を見た。目の前にいる大学生とおぼしき若者は、スマホに夢中で動こうとしない。その光景を眺めていた八名は、「よし、悪役でいこう」。スイッチを入れた。 「おまえら、立て! お母さんたちが立っているのが見えないのか!」 ドスの利いた声が響き渡った。悪役の本領発揮である。 「悪役が役に立つって、こういうことなんだ。向かってこられたらと思うと、俺だって怖いよ。でも、俺は鶴田のおやじさん、高倉健さん、若山富三郎さんにすごんできたんだ」 そう説明する声は、若者を一喝した声とはあまりに対照的であろう温かさに満ちていた。 「『悪役商会』を設立した理由のひとつに、鶴田のおやじさん、健さんが教えてくれた、“悪のあり方”を伝えていくってこともあった。今、こうやって取材を受けている最中に、突然、俺がバンッ!とピストルで撃ち込んだら、観客は『こんなところにも悪があるのか』って怖くなる。悪ってのはそういうものなんだ」 少し口をつぐむと、八名は寂しそうに言葉を漏らした。 「……悪の質が変わってきた。人の心を考えていないからだろうなぁ」 八名と話すと、おそらく多くの人がその人柄に惹かれるに違いない。筆者もその1人で、「人間的に素晴らしい人だからこそ、悪役ができるのだろう」と感じていた。しかし、『悪役商会』代表の竹谷さんは「八名は、『自分は決して立派な人間ではない。だから褒められるようなことを望まない』。そういう人なんです」と話していた。 「八名が大切にしていることは、引き受けたことは最後までやる。縁を大切にする。役に立つために考える……どれも普通のことなんです。昭和の人間ですから。特に八名は、悪役というイメージがあるから、ことさら大事にしているのかもしれません」(竹谷さん) “人を大切にする”ことを大切にする。ごく当たり前のことを、私たちは忘れているような気がする。訴えるように八名が語る。 「他人の子に対してね、思いやりがなくなってきている。大人が叱って、守ってやろうっていう思いが、この世の中から消えていっている。『何時まで遊んでんだ。お父さん、お母さんが心配してるじゃないか』って言ってあげてほしい。愛情を持って叱ることが守るってことなんだと伝えていきたい。守れないってことは、思いやりがないってことなんだ」 きちんとした人がたくさんいたから、悪役は際立っていた。今は、いい人なのか悪い人なのかよくわからない、まだらな世の中になった。悪役を考えることは、翻って普通であるとか、きちんとするとか、人の心を考えることでもあったのだ。不世出の悪役だからこそ─八名信夫にしか伝えられない人の心がある。 <取材・文/我妻弘崇> あづま・ひろたか フリーライター。大学在学中に東京NSC5期生として芸人活動を開始。約2年間の芸人活動ののち大学を中退し、いくつかの編集プロダクションを経て独立。ジャンルを限定せず幅広い媒体で執筆中。著書に、『お金のミライは僕たちが決める』『週末バックパッカー』(ともに星海社新書)がある。