「高倉健さんにすごんできた」プロ野球選手から俳優へ転身、日本一有名な“悪役”になった男の軌跡
「悪役商会」を設立し、悪役たちと縦横無尽な活躍
悪役。今でこそ、その聞こえはいいだろうが、今から40年以上前は事情が違った。そのころの悪役としてのイメージは私生活に支障をきたすものだったと、八名は語る。 「俺の家に空き巣が入って交番に相談に行ったら、お巡りさんが犯罪者リストをチェックして俺をジロジロと見る。子どもを連れているだけで誘拐犯に思われたこともあった(笑)。俺たちは悪役であって、悪人じゃない。そう言っても理解されなかった」 裏を返せば、それだけ八名の悪役としての演技が観客の脳裏に焼きつくものだったともいえるが、「悪役以外の芝居もやりたい」と八名が考えるようになったのは自然なことだった。東映にそのことを伝えると、「役者として大事なことだ。いろんな主役たちとぶつかって勉強してきなさい」と、送り出してくれたという。 1983年、八名は監督や大物俳優に媚びずに自分たちで企画を立てて芝居をするために、『悪役商会』を設立する。入会資格は、「悪役歴25年以上、殺した人数2000人以上、殺された回数700回以上」。初期メンバー12人がそろう記者会見の場は、東京・池袋の西武劇場。スポットライトとは無縁の強面の男たちを、カメラのフラッシュが一斉に包んだ。 劇場で公演を行い、悪役以外の役もできることを証明した。2年後には、味の素の「アルギンZ」のCMに起用されるまでに、『悪役商会』の名は羽ばたいていく。しかし、『悪役商会』代表兼八名のマネージメントを務める竹谷英子さんは、「決して順風満帆というわけではなかった」と語る。 「当時は悪役の待遇が、驚くほど悪かった。ドラマのキャスティングのお話をいただいても、1か月スケジュールを空けてほしいと言われる。『〇日と△日は仕事が入っていますので、その2日だけは厳しい』と伝えると、『だったら結構です』と断られる。そういったことが日常茶飯事でした」(竹谷さん) ギャラも驚くほどに安かった。悪役はたくさんいるから仕事が欲しいなら合わせろ、というわけである。 「悪役の地位を上げなければいけないと思いました。相手から声をかけられる存在にならなければいけない。とても生意気なことですが、八名自身、『都合に合わせられ続ける限り、役者としては見てもらえない』とこだわってきたことなんです」(竹谷さん) すると八名が、「昔、1人の酔客にこんなことを言われたんだ」と思い出話を教えてくれた。 “最近の映画が面白くないのは、あんたたち悪役のせいだ。あんたたち悪役は、「主役さん、監督さん、プロデューサーさん、次の仕事も使ってください」。そういう目つきをしているんだ。だから、画面に迫力がないんだ。媚びてるんじゃないのか!” 「焼け火箸を腹に突っ込まれた気がした。それからというもの、声をかけられてもらえるような悪役にはどうやったらなれるかを考え続けてきたんだ」 その思いを酌むために、竹谷さんは子ども番組や歌番組、バラエティー番組といったテレビの世界に『悪役商会』を売り込み、認知度向上に奔走した。こうした背景には、「悪役俳優がいるから主役や映画、テレビが引き立つ」とマスコミ各社が応援してくれたことも大きかったと、竹谷さんは付言する。 中には、「なんでこんな仕事を俺たちがしないといけないんだ」と反発する者もいた。だが、その都度、リーダーである八名が理解を促した。 前出の谷隼人が、八名の人柄について口を開く。 「オンとオフの切り替えが上手な方です。オフのときは気さくに声をかけてくれて、僕はいつも心地よい先輩だなと感じていた。そういう人だから、『悪役商会』をまとめることができたのだと思います。上に立つ人は、気配り、目配り、心配りができる人です。そして、役者である以上、金配りも大切です。 きっぷがいい人でないと、まとめられない。芝居はその人の生きざまが出るんですね。八名さんが悪役なのに、多くの人から愛されるのは、八名さんの生きざまが愛されるものだからですよ。それが人間、八名信夫です」(谷) 青汁のCMも、包み隠さない八名の人間性によるところが大きい。実は、当初は青汁を飲んで、「こいつは悪役にもいいな」というセリフの予定だった。しかし、 「セリフが面白くないと思った。それで、『まずいって正直に言ったらどうですか?』と提案したんだ。社長は頭を抱えたものの緊急会議を開き、『やってみよう』ということになった。ただ、フォローをしてほしいと。それで、表情を変えて笑顔で『もう一杯!』とグラスを突き出したわけだ」 CMの契約は3か月だけの予定だったが、自社製品を「まずい」と言ってのける前代未聞の広告は、大反響を巻き起こす。 「それから30年近い付き合いになるとは思わなかったなぁ。CM撮影のとき、社長と一緒に畑に入って、ケールを採ったこともあった。俺はキリギリスじゃねぇぞ(笑)」 作業着ブランド「寅壱」のCMの振り付けも、八名によるアイデアだったという。面白くないと感じれば、自ら積極的にアイデアを出す。監督に死に方をアドリブで直談判したときもそうだった。その仕事の流儀が、旧態依然とした悪役のイメージをぶち壊し、悪役の地位と可能性を切り開いた。