力道山の未亡人と次男が「40年近く断絶」状態なことが判明 次男は「もう関わりたくない」
「僕はもう関わりたくない」
敬子さんが百田姓から田中姓に戻したのは、75年のこと。敬子さんは相続税を支払うため、81年にリキアパートと隣接するリキマンションを併せて売却。以降、光雄氏と敬子さんの付き合いはなくなったという。 「突然、父に先立たれた敬子さんも大変だったと思います。彼女に悪気がないこともよく分かる。でも、僕らは彼女にさんざん振り回された。“力道山未亡人”としてパーティーを開くのは構いませんが、僕はもう関わりたくないというのが本音です」 そう語る光雄氏は、2021年にステージ4の肺がんが見つかり、いっときは85キロから50キロほどにまで体重が落ちた。今年8月にはコロナにも感染し、その影響で心臓も患い、階段を昇るのが難しくなる程脚の筋肉が落ちた。
「産んだわけではないけど、息子ですから」
しかし、力道山の誕生日である14日には病身を押して、力道山の墓がある池上本門寺で食事会を開くという。 「盛大なパーティーは開けませんが、生前の父がお世話になった方やそのご子息など25名ほどを招待してます。敬子さんには知らせてません」 当の敬子さんは何と言うか。パーティーの招待状を光雄氏に送ったことについて聞くと、 「私が産んだわけではありませんが、やっぱり息子ですから。私がこういった会を開くのはもう最後だと思い招待しました。(光雄氏との確執については)もうしょうがないわね」 戦後の世に輝きを与えた男の死から61年の時を経て、なおも残る影の濃さよ。
「週刊新潮」2024年11月21日号 掲載
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