【レポート】千葉市ゆかりの画家の生涯を振り返る『田中一村展』千葉市美術館にて開催中 『ブラチスラバ世界絵本原画展』も同時開催
50歳で奄美大島に移住し、その地の風土を描き続け、没後に注目を集めるようになった孤高の画家、田中一村。彼の生涯を振り返る展覧会『田中一村展ー千葉市美術館収蔵全作品』が、1月5日(火)より開幕、2月28日(日)まで開催されている。 【全ての画像】『田中一村展ー千葉市美術館収蔵全作品』 田中一村(1908~1977)は、栃木県出身の画家。幼少時より絵を学び、神童と呼ばれるほどの腕を持っていたが、入学した東京美術学校(現・東京藝術大学)をすぐに退学。 その後は、いわゆるメインストリームとは無縁で無名の画家生活を送った。一村は30代から千葉市で活動を行っていたが、50歳になり奄美大島に移住、自らの制作に没頭するようになる。しかし、中央画壇に注目されることなく奄美大島にて昭和52年(1977)、69歳で亡くなった。 一村の描いた色鮮やかで鮮明な奄美大島の絵が注目を集めるようになったのは、彼が没してから7年後のこと。昭和59年(1984)のNHKの「日曜美術館」で奄美大島の無名の画家として取り上げられてから注目が高まり、その後、各地で展覧会が開催され、画集や評伝が何度も刊行されることとなった。 この人気の高まりを受け、千葉市美術館をはじめ、田中一村のゆかりの美術館が一村の研究を相次いでスタート。平成22年(2010)にようやく一村の回顧展『田中一村 新たなる全貌』展が開催されることとなったのだ。 千葉市美術館は、この平成22年の展覧会をきっかけに、千葉市ゆかりの画家、田中一村作品の収集を開始。寄贈や寄託を受け、10年かけて約130点の作品が揃った。この展覧会は、それらの収集品を全公開し、田中一村の画業を振り返るというものだ。 千葉市美術館の一村作品は色紙大の作品が多いのが特徴。彼が暮らした千葉市中央区千葉寺町の風景が描かれた作品も多い。 《石図》や《椿図屏風》は一村が24歳、新しい画風を模索していた頃の作品だ。 《椿図屏風》は二曲一双の作品だが、一村が細かく描きこんだのは片方の屏風のみ。もう片方の屏風は金地が貼り付けられただけで、なにひとつ描き込まれた形跡がないという。これは意図的なものなのか、途中で描くのを止めてしまったのか、これからの研究が待たれる作品だ。 そして、千葉市美術館の収蔵品からは、一村が多岐にわたる分野で才能を発揮していたことも知ることができる。四季折々の風景を描いただけでなく、仏画やデザイン、写真まで手掛けていたのだ。 しかし、50歳となり一村は奄美大島に渡る。代表作の《アダンの海辺》について、一村は「閻魔大王への土産物」と書簡にしたためている。 細部まで鮮やかに、そして繊細に描かれた作品はこれまでも多くの展覧会でメインビジュアルとして使われている一村の代表作。遠くから、近くからじっくりと眺めておこう。 そして、最後のコーナーは、田中一村アーカイブ。メディアの紹介によって注目されるようになった田中一村の、これまでの展覧会ポスターや雑誌記事などが並ぶコーナーでは、無名だった田中一村がどのように受け入れられていったのかがよくわかる展示だ。 また、千葉市美術館では『ブラチスラバ世界絵本原画展 こんにちは!チェコとスロバキアの新しい絵本』も田中一村展と同時開催されている。 この展覧会は、スロバキア共和国の首都ブラチスラバで2年ごとに開催される、世界最大規模の絵本原画コンクールから、開催国のスロバキア共和国、隣国のチェコ共和国の作家による絵本原画のほか、同コンクールに参加した日本代表作家による作品64点などが展示される。また、日本人出品作家のうち荒井良二、きくちちき、さかたきよこ、ザ・キャビンカンパニーの4組に焦点を当て、制作にまつわる資料や新作など創作活動の背景を特集していく。 絵本大国と言われるスロバキアやチェコの、日本とは一風異なる絵本の世界も合わせて楽しもう。 取材・文:浦島茂世 【開催概要】 『田中一村展ー千葉市美術館収蔵全作品』 『ブラチスラバ世界絵本原画展 こんにちは!チェコとスロバキアの新しい絵本』 1月5日(火)~2月28日(日)、千葉市美術館にて開催