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都心勤務の20代会社員「埼玉・岩槻」に住む選択は、ありか?

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どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、東武鉄道野田線の「岩槻」。 【ランキングをみる「興味ある街」】

駅前に区役所があるのは便利だが…

「岩槻」はさいたま市岩槻区に位置する、東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)の駅。1日の乗降者数は約3.7万人で、東京23区への通勤率は15%ほどです。 岩槻という地名の由来には諸説あります。江戸時代後期に書かれた地誌『新編武蔵風土記稿』によると、室町時代後期の武将・太田道灌によって築かれた城塞が、大きな岩にみえたことから「岩築の城」と名付けられ、そこから転じて「岩槻」になったといわれています。しかし鎌倉時代の記録に「いわつき」という記述も存在するため、さらに古い地名との説も。「岩築の城」=岩槻城は、現在「岩槻城址公園」として整備され、桜の名所として知られています。 現在、さいたま市10区のひとつに数えられる岩槻区ですが、2005年より以前は、単独の市でした。その中心であった「岩槻」駅は、1929年、北総鉄道(現在の北総鉄道とは別)「岩槻町」駅として開業。1939年に現在の駅名に改称となったのち、1944年には会社合併により、東武鉄道の駅になりました。 岩槻といえば「人形のまち」として全国的に有名です。その歴史は、江戸時代、徳川三代将軍家光が日光東照宮の造営を始めたときまで遡ります。造営の際、全国から工匠が集められましたが、日光御成街道の宿場町であった岩槻に一部の工匠が定住。そのなかにいた人形づくりをする者が技術を広めたと考えられています。 現在、国の伝統工芸品にも選ばれ、生産量・生産額とも日本一といわれていますが、作られる人形は多種多様。ひとつの生産地で、三月人形、五月人形のほか、舞踏人形、尾山人形、浮世人形など手がけるのは、非常に珍しいことです。 そんな岩槻ですが、区の中心としては少々寂しい印象を持たれがち。商店など集積しているのは東口で、以前は「岩槻サティ」がありましたが、近隣の大型商業施設との競争激化により、2010年に閉店。街に大きなインパクトを与えるニュースでした。 すぐに「マルエツ」と専門店が出店し、さらに2012年には、3~4階に岩槻区役所が移転。商業と行政が一体となった商業ビルが駅前にあり、街の利便性は向上したといえますが、周辺地域と比べて、どうしても地味さは否めません。 しかし岩槻では密かに進行している計画があります。東京メトロ南北線と相互直通運転を行う埼玉高速鉄道が「岩槻」を通り「蓮田」まで延伸する構想で、「岩槻」までは「先行整備区間」に位置づけられています。開通すれば「赤羽岩淵」まで30分を切るといわれ、都心へのアクセスが飛躍的に向上する見込み。さいたま市長が「1日も早い鉄道事業者による事業着手を目指したい」と語る一方、現時点では事業性に課題があり、実現の見通しは立っていないともいわれています。

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