「戦争の記憶を辿る」大阪城周辺で戦跡ウォーク
「戦争の記憶を辿る」大阪城周辺で戦跡ウォーク 撮影:岡村雅之
大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム「ピースおおさか」(大阪市中央区)では、大阪城公園周辺に点在する第2次世界大戦の戦争遺跡を歩いて巡る「戦跡ウォーク」を開催している。終戦から70年あまりを経て、戦争を体験した世代が少なくなる中、戦争の記憶を刻む戦跡は貴重な社会遺産だろう。このほど開かれた戦跡ウォークに参加した。 【拡大写真と映像】大阪城に残る戦争の傷跡 観光客の足元にも機銃掃射痕が
大阪城周辺は一大軍事拠点だった
明治初期から第2次大戦中にかけて、大阪城周辺地域は連隊兵舎や軍需工場が集中する一大軍事拠点だった。戦局が悪化する中、大阪大空襲で焼失したり、戦後解体されて姿を消したが、往時を知る手掛かりとなる戦跡が多数残っている。ピースおおさかでは主な戦跡15か所を一覧できる戦跡マップを作成したうえ、市民を対象に3コースを設定して戦跡ウォークを開催している。 最大規模の軍事施設は大阪砲兵工廠だった。官営の軍需工場で、大砲や砲弾などの重量兵器を製造。敷地は現在の大阪城東側一帯や城東区の一部を占め、約130万平方メートルにおよんだ。終戦時には約6万7000人が勤務していた。 終戦前日の1945年8月14日、最後の大阪大空襲で大打撃を受け壊滅。終戦後、広大な跡地は大阪城公園やJR車庫、市営地下鉄車庫などの公共施設として再生された。大阪城公園内にあるピースおおさかも、砲兵工廠の診療所があった地点に建設されたという。館内の展示を見学した後、西まわりコースへ歩を進めた。
れんが造りの門柱と塀に戦争の記憶
公園東南から右手に南外堀を見ながら西へ向かうと、やや埋もれかけた石碑と出合う。「大阪陸軍城南射撃場跡碑」だ。明治初期から露天の射撃場があり、昭和に入ってからトンネル式の本格的な射撃場に強化。小銃や機関銃の実弾射撃訓練に使用された。戦後は自衛隊の隊員訓練などに利用されたが、1968年公園整備に伴い撤去された。 なだらかな坂を上って大手門から城内に入ると、右手に大阪城公園城内詰所がある。れんが造りの古い門柱と塀は、大阪陸軍兵器支廠時代のものだ。兵器支廠は兵器や兵器材料の保管修理を担当し、現在の西の丸庭園周辺に多くの倉庫を持っていた。建物の大半は撤去されたが、門柱と塀が公園施設の一部として受け継がれたわけだ。歳月を重ねて鈍い光を放つ赤れんがが、戦前戦中の記憶を刻む。 大阪城公園を出て、上町筋を南へ。法円坂交差点を渡ると、上町筋をはさんで東の難波宮跡公園に「歩兵第八聯隊跡碑」、西の大阪医療センター内に「歩兵第三十七聯隊跡碑」が立つ。第八連隊、第三十七連隊とも第四師団の基幹部隊で、両連隊の兵舎がコンクリート塀に囲まれて続いていたという。近くに大日本国防婦人会館があったが、現存していない。