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離党、交通事故、自殺も… 自民党総裁選敗北者たちのその後

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NEWS ポストセブン

 第99代総理大臣に菅義偉氏が選ばれたが、次点だった岸田文雄元外務相は今後、独自色を出していけるかどうかが問われ、派閥以外からはわずか7票の得票に終わった石破茂元幹事長は正念場を迎えている。時流に逆らい敗北したため当然とも言えるが、過去のそうした“椅子取りゲームの敗者”にも、さまざまなドラマがあった。 【写真】縁が約1cmある上縁眼鏡を掛け、光沢あるウールのスーツを着た石井光次郎

●梶山静六(享年74)  1998年、小渕派を離脱して総裁選に立候補すると、株価が一時100円近く急上昇。小渕恵三に敗れたものの、世論を味方につけて善戦した。しかし、2年後の1月に交通事故に遭い、4月に政界引退を表明。6月に死去。愛弟子の菅義偉は師の無念を晴らした。 ●山崎拓  1991年、最大派閥の竹下派(経世会)に対抗するため、加藤紘一、小泉純一郎と「YKK」を組み、ニューリーダーとして頭角を現わした。1999年の総裁選前、青木幹雄に「潮目を見ることが大事だ」と見送りを打診されるも出馬。最下位の3位に終わる。 ●亀井静香  2001年と2003年の総裁選に出馬も、小泉純一郎の前に散った。「(首相の)政策が間違っているなら『変えなさい』と強く言うのは当然だ」と小泉の郵政民営化に反対。自民党を離党して国民新党を旗揚げし、民主党と組んで自民党を下野に追いこんだ。 ●谷垣禎一  民主党政権誕生後の2009年、“全員野球”を掲げて24代総裁に。野党時代を支えたが、2012年の総裁選では石原伸晃幹事長の出馬を受け、「執行部から2人出るのは良くない」と辞退。河野洋平以来2人目の「総理になれなかった総裁」に。

●石井光次郎(享年92)  自民党の結党時から、官僚出身ではない「党人派」政治家の代表として党を支えた。1956年12月の総裁選では石橋湛山、1960年の総裁選では池田勇人に敗れたが、その後も党内に影響力を持った。 ●藤山愛一郎(享年87)  1960年総裁選に岸信介の後継者として立候補を表明。途中で岸から辞退を迫られたが、振り切って出馬を貫き、池田勇人に敗れる。総裁選後、藤山派を結成して1964年と1966年の総裁選に挑んだが、敗退した。 ●中川一郎(享年57)  1982年の総裁選に出馬。「世界で強い政治家はレーガン、サッチャー、それに中川一郎」と訴えるも、最下位に。わずか1か月半後に自殺。“将来の総理候補”と呼ばれた息子の昭一も56歳で早世した。 (文中一部敬称略) ※週刊ポスト2020年10月2日号

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