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物語のあちこちに埋め込まれたさりげなく深い教養

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Book Bang

 再復刊された佐藤亜紀のデビュー作『バルタザールの遍歴』は、二十世紀初頭のウィーンに生まれた貴族の双子、メルヒオールとバルタザールの手記という体裁の小説だ。彼らはただの双子ではない。「二心同体」なのだ。〈私たち〉という主語を用い、どこか自嘲気味に来し方を綴る弟のメルヒオール。突っ込みや反論の折に顔をのぞかせる兄のバルタザール。どうやら二人は大西洋の船上にいるらしい。ひとつの体を共有する彼らの「遍歴」とは――。  唯一の理解者だった従妹の言葉、義母への思慕、父の秘密、放蕩、逃亡。激動の時代のヨーロッパと北アフリカを舞台に語られる転落の顛末のあちこちに、さりげなく深い教養が埋め込まれている。たとえばある人物から二人への「伝言」に記されていたラテン語の〈ET IN ARCADIA EGO〉という言葉。バルタザールがかつて夢中になっていたセバスチャン・ナイトという〈英語で書く亡命ロシア人〉。あくまでさらりと書かれているそれらは、実はひそかに物語に有機的に作用している。働きかけながら読むことの愉しさを存分に味わわせてくれる一冊。

 皆川博子『双頭のバビロン』(上下巻、創元推理文庫)も、貴族の血を引くウィーン生まれの双子が主人公だが、こちらは結合双生児の物語だ。四歳のときに切り離され「二人」になったユリアンとゲオルク。ボヘミアの廃城に幽閉されたユリアンと、やがて映画界で名声を得るゲオルクの人生は果たして交錯するのか。甘く昏(くら)い腐臭を常に嗅いでいるような読み心地がたまらない。

 津原泰水の「五色の舟」(『11 eleven』河出文庫に収録)は、片方の死で「一人」になった双子の少女、指が肩から生えている少年、怪力の一寸法師、牛女、そして両足のない「お父さん」の見世物一座が、戦時中の広島で「予言の者」と接触する、禍禍しくも美しい奇譚。説明を極力省いた文章の、考え抜かれたリズムにため息が出る。何度読んでも心に新たな波が起きる。さまざまな色合いの怖さと哀しみがあとをひく作品集。永遠の名作だ。 [レビュアー]北村浩子(フリーアナウンサー・ライター) 新潮社 週刊新潮 2020年6月25日早苗月増大号 掲載

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