「当然、嫌われたくなかった」川越達也『お願い!ランキング』のコメントで見せた「エッジの聞いた言葉」の本音
■言葉を選ばずに言えば、自分自身で実験していた ── ちなみに川越さんは、料理をしながらのトークがとてもわかりやすかったのですが、もともとお話はお上手だったのですか? 川越さん:どうでしょうね。結果論ですけど、もともと学芸大学で料理教室もやっていたんですよ。1回のレッスンで4、5人の生徒さんがいたのかな。 当時、テレビ局から料理番組のオファーが来る前からいち視聴者として番組を観ていましたが、いろいろなシェフが出るじゃないですか。僕だったらこうやってしゃべるかもな、とかカメラの目線やフライパンの持ち方。代替えの材料も併せて説明するし、観ている人が置いてきぼりにならないように説明しようってテレビを観ながら考えていて。普段の料理教室で実践していたんですね。それがいざ、テレビ局から料理番組のオファーが来たときに、ちょっとは役に立ったかなって。
── また、メディアに出なくてもお店は繁盛していたかと思いますが、川越さんに会いたくてお店にいらっしゃるお客さんも多かったとか。 川越さん:ありがたいことに頻繁にメディアに出させていただく前から、独立して6、7年経つころには、1、2か月先の予約が埋まるようになってきました。スタッフの数も増やしていきましたが、追い風なんてしょっちゅう吹くもんじゃない。とにかく、来た仕事は極力受けて、自分ができうることは全部やってみようと思いました。
── 多岐にわたり活躍が続きますが、この分野で特化したいといったことはありましたか? 川越さん:言葉を選ばずに言うと、自分自身、実験していた部分があったんです。先人のシェフのスタイルを見てきたときに、自分はどういう形で食べていけるのか。たとえば、たくさん店舗を展開できるシェフもいれば、1店舗集中型でメディアに出ない方もいる。料理教室を運営するか、料理研究家と名乗ってたくさん本を書く人もいれば、飲食のコンサルティングをやる人もいる。自分の場合は何がフィットするか考えたときに、いったん全部触ってみようと思ったんです。誘いがあれば全国のディナーショーにもお邪魔してましたし。はたから見たら、あいつは何でもやるなって思われていたかもしれませんが、40歳までに自分が何をしたいのか。向いているのか。自分を模索しながら進んでいた時期でした。
PROFILE 川越達也さん かわごえ・たつや。1973年生まれ。宮崎県出身。27歳で「ティアラ・K・リストランテ」をオープンし、その後「TATSUYA KAWAGOE」に改名し代官山に移転。現在は東京都と長野と宮崎の3拠点生活を送り、商品開発やコンサルティング業務に携わる。7月にはYouTube「川越シェフだよ。」がスタート。 取材・文/松永怜 写真提供/(株)タツヤカワゴエ
松永怜