極上クライム・ムービー『密輸 1970』リュ・スンワン監督が明かす、水中アクション撮影秘話とキャスティングの秘訣
『密輸 1970』(公開中)ほどの胸がすく快作には、この先しばらく出逢えないかもしれない。1970年代半ばの韓国の架空の漁村・クンチョンを舞台に、海産物を収穫して生計を立てている海女たちと、彼女たちを利用しようと目論むチンピラが繰り広げるこのアクション・クライム・ムービーは、鋭い社会性と上質なエンタテインメントを完璧に成立させているからだ。手がけたリュ・スンワン監督は、これまで『モガディシュ 脱出までの14日間』(21)など数々のヒット作を生み出してきた名匠だ。 【写真を見る】重厚なテーマをエンタメを通して映し出す手腕に、世界からファンが絶えないリュ・スンワン監督 今回、実に9年ぶりの公式来日となった監督へのインタビューが実現。映画を支えたキム・ヘス、ヨム・ジョンア、コ・ミンシ、そして盟友チョ・インソンら俳優たちへのリスペクトとキャスティングの秘訣まで明かされる、貴重な時間となった。 ■珠玉のアクションシーンを生み出した、海女というプロフェッショナルへの敬意 『密輸 1970』のインスピレーションは、リュ・スンワン監督の映画制作会社「外柔内剛」のチョ・ソンミン副社長が撮影で群山を訪れた際、地域の博物館で目にした資料だった。“1970年代、群山で横行した密輸に地元の海女たちが加わっていた”――チョ副社長が持ち帰ったそんな短いヒントに、リュ・スンワン監督が興味を抱いたという。 しかし韓国が誇るジャンルムービーの申し子であっても、世界的に珍しい海女という職業を描くことには困難がつきまとった。まず、モデルとなる70年代の海女は、ボディースーツなどを着けずに潜水していた。激しいアクションを含めた水中シーンのハードルは、特に高かった。 「どれほど準備したかについて話すなら、このインタビュー時間を全部使わなければならないですね。水中でのアクションを、装備もつけずに演技するというのは時間の制約もありましたし、海の中は私たちが知らない多くの生物と、ぶつかったら大怪我してしまう危険な岩場だらけだったからです。皆さん素晴らしい表現力を持つ方々ですが、3~4分以上も水中で耐えることは難しい。限られた時間の中で目的を果たさなければならないのは本当に大変でした」。 キム・ヘスは「水中シーンの撮影前は恐怖でパニック症状を起こしたが、俳優ひとりひとりが水に入るたびに現場のクルーが互いに激励してくれて、とても感動した。このような体験を通じて、ある瞬間自然とパニック状態から解放された」と当時を振り返る。製作陣が綿密な準備を重ねたうえで、俳優もスタッフも極限まで努力を惜しまなかったのは、『密輸 1970』という物語を強く駆動していく存在をプロフェッショナルに見せることが、何よりも重要だったからだ。 「70年代の海女の仕事がどれほど危険だったのかは、グリーンバックの前で俳優がワイヤーを装備し、CGで水の中にいるように見せても到底リアルに表現できないですよね。俳優の皆さんは直接水中に入って再現しなければならないので、実際に若い海女の方々と実際に会ってもらって、体の動きだけでなく皆さんの心理状態、生活環境などについても直接感じてもらいました」。 こうして試行錯誤を重ねた撮影現場から生まれたのが、リュ・スンワン監督のベストディレクションを更新する珠玉のシーンだ。特に海女たちによる水中アクションは、興奮と共に彼女たちの“生の歩み”までが身体表現からほとばしる。 「水中は重力に逆らえるので、私がカメラをあれこれ動かしても撮れない動きを表現できますよね。また、女性たちが男性たちとこのようなアクション映画で対決するとき、いくら強い女性キャラであっても、体格の良い男性にあまりにもあっさり勝利を収めていく展開は、個人的にはしっくり来ないんです。海女の方々が自分の人生を懸けて悪党たちと水の中で対決をするのなら可能ですし、 非常に華やかなルックになると思いました」。 ■キム・ヘスとヨム・ジョンアをどうしてもキャスティングしたかった理由は「違う魅力を持つ俳優が必要だった」から 自由気ままな性格のチュンジャと、海女のリーダーで人情に厚いジンスク。正反対ながら魅力たっぷりな二人の主要キャラクターに、リュ・スンワン監督はキム・ヘスとヨム・ジョンアを同時にイメージした。 「この機会に、私がとても好きな俳優で、しかし一度もタッグを組んだことのないキム・ヘスさんとヨム・ジョンアさんへオファーしたかったという単純なスタートだったんです。またお二人とも、ルックスも演技のスタイルもそれぞれ違う魅力があるので、映画的に素晴らしくなるのではと思いました。いくら私が『ぜひ一緒に仕事をしたい』と望んでも、二人の主人公のスタイルやルックスが似ていたりすると、組み合わせが良くないんですよ。キム・ヘスさんとヨム・ジョンアさんを一つのフレームの中に入る姿を想像してみたら、本当に素敵だったんですよ。そして私たち世代にとって、お二人はとても特別な存在。オファーをするだけでもワクワクが止まりませんでした」。 ■情報通の喫茶店マダムを快演!コ・ミンシのキャスティング秘話 心から惚れ込んだ二人のベテラン俳優にひけを取らない活躍を見せたのが、喫茶店オーナーのオップンを演じた新鋭、コ・ミンシだ。リュ・スンワン監督も「コ・ミンシさんのキャスティングは本当に良い選択でした」と振り返る。 「実は有名な俳優の方も参加を希望されてたんです。でも『オーシャンズ11』(01)のようなブロックバスターではないですし、たくさんのスターが出て観客が誰を見るべきか分からなくしたくありませんでした。コ・ミンシさんは『The Witch/魔女』(18)が記憶に残っていたのと、熟練の中にちょっと新鮮なムードの方が入るとバランスがよくなるのではと思ったんですよね。現場では毎回悩みながらも素晴らしい演技を見せてくれて、驚きの連続でした。共演者たちからも本当に可愛がられていましたしね。私の意図よりもはるかに大きな役割を果たしてくださいました」。 ■監督が語る“努力の俳優”チョ・インソンの魅力「なかなか出逢えない、格の高いアーティスト」 リュ・スンワン監督のフィルモグラフィーを語るうえで、欠かせない俳優がチョ・インソンだ。前作『モガディシュ 脱出までの14日間』、今年の10月よりクランクインが予定されている『ヒューミント(原題)』にも出演が決まっている。監督との強い絆についてチョ・インソン本人は「ご近所仲間だから」とチャーミングに語っているが、リュ・スンワン監督にしてみればこうした人間的な信頼こそが、映画作りを支える重要なキーとなっているようだ。 「映画監督って、自分の好きな俳優のタイプがあるじゃないですか。たとえば主演級を連続して担う俳優を“ペルソナ”と言うことがありますが…私は、自身の仮面のように俳優を作品で扱うわけではないんですよね。俳優と監督の関係は、ただ演出する・されるという以上に、一緒に映画を作っていく同僚、芸術的なパートナーの関係です。人間的に何か通じるポイントがあるからキャスティングしています」。 そして、自らは決して多くを語らないチョ・インソンの隠れたエピソードも教えてくれた。その言葉には、彼への深い愛情がにじみ出る。 「正直に言えば、チョ・インソンさんより演技が上手い方も、ハンサムな方もたくさんいます。しかし、彼ほど懐の深い俳優に会うのは難しい。自分の演技の上手さに決して安住せず、常に謙虚なんです。20代の頃からずっとスターとして生きてきた方なのに、新作へのキャスティングが決まると今でもダイアログコーチ(演技の基礎を指導するコーチ)とセリフの練習をするんですよ。自分が以前できなかったことを克服しようと本当に努力をするそうです。本当に格の高いアーティストなんです」。 リュ・スンワン監督がこう語るのには、多くの俳優とともに映画づくりを続けてきたヒットメーカーならではの流儀があるからだ。 「リュ・スンボムは弟というのもありますが、私がよくタッグを組むファン・ジョンミン先輩やチョ・インソンさんのような方は、出演するだけでたくさん観客動員が見込めるからとか、世界で一番演技が上手いからオファーしているのではないんです。映画を一本撮るというのは、自分の人生のうち少なくとも1年から2年を投げ打つ行為。俳優は、その時間をともにするパートナーなんです。人気のある方、すごく演技が上手な方、かっこいい方とも一緒に映画を撮ってみるのですが、結局残るのは、“人生のある時点で私たちがこの映画を一緒に作った”ということを気分良く振り返れる方々。映画を撮ることは出逢いと別れの連続ですから、時を経て再会しても当時を楽しく思い出せる方がいいですよね」。 フィルモグラフィーをひも解くと、『血も涙もなく』(02)のスジン(チョン・ドヨン)とキョンソン(イ・ヘヨン)や、『ベテラン』(15)の刑事ミス・ボン(チャン・ユンジュ)など、リュ・スンワン監督の作品にはタフで魅力的な女性キャラクターが登場してきていた。彼女たちにひそかな喝采を送っていたファンにとって、本作は待ちに待った一本でもある。一方監督自身は「ただテーマと人物とストーリーに魅了されただけで、特別な意味を持って撮ったわけではないんです」と、気負いはない。それもまた、一本の映画を誠実に撮る姿勢なのかもしれない。「すべてのことは説明不可能で、“現象”としか言えないかもしれないですね」と話した監督にとって予想できないほど、『密輸 1970』は女性のクライム・ムービーの歴史を塗り替えるムーブメントとなった。 「映画を作るということ自体、説明できないことが多いです。どんなに長い間準備していても全く進まないこともあれば、突然降って湧いたように作業ができることもあります。私が“これは私と関係のない世界”だと考えていても、ある瞬間パズルのピースのようにはまり繋がり合うこともあります。それこそが魅力ではないでしょうか。もし観客の方々が私たちの作る映画が予測できるようなものなら、それは計算して引き起こしたことだから面白くないじゃないですか。ご覧になっている方々が意味を映画を通じて意味を探していただけたら、それで十分だと思っています」。 取材・文/荒井 南