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朝ドラ『エール』モデル・古関裕而の幼少期「私の作曲の芽ばえには、先生の影響が大きかった」

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婦人公論.jp

窪田正孝さんが主人公を演じるNHK連続テレビ小説『エール』は、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)の人生をモデルにしている。6月最終週から放送を一時休止し、第1回から再度放送されている。先週から今週にかけては、主人公古山裕一と、のちに妻となる音(二階堂ふみが演じる)の幼年時代の物語。遺族にも取材して古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、史実と重なることも多いようでーー 【当時の写真多数!】美貌の母と老舗を経営する父に育まれて ※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです * * * * * * * ◆音楽少年の誕生 古関裕而(本名は勇治)は、明治42年(1909)8月11日に福島県福島市で父三郎次(唐沢寿明さん演じる三郎のモデル)と母ヒサ(菊池桃子さん演じるまさのモデル)の長男として生まれた。 古関家の当主は代々三郎次を襲名し、隠居すると三郎兵衛と名乗った。裕而は九代目であった。長い間子供ができず、養子をもらおうかと思っていたところに生まれたため、裕而は両親に溺愛された。5年後には弟の弘之(ひろし/佐久本宝さん演じる浩二のモデル)が生まれている。 生家の呉服店は「喜多三(きたさん)」と号し、番頭、小僧を十数人抱える老舗であった。店内には当時では珍しかったレジスター(ナショナル金銭登録機)を置いていた。店の繁昌ぶりがうかがえる。 三郎次は音楽が好きで、家では蓄音機から浪曲、民謡、吹奏楽などが流れていた。これが古関と音楽との出会いであった。 とくに、お伽歌劇「ドンブラコ」(作曲・北村季晴)や「目なしだるま」(作曲・佐々紅華)には、「強く心を揺すぶられた」という。そしてレコードを聴きながら絵を描いていた。彼は晩年に絵画と接する時間が多くなるが、その才能もすでに幼少期にはうかがうことができる。

◆息子の音楽の才能を伸ばすために こうした家での過ごし方は、大正5年(1916)に福島県師範附属小学校へ入学してからも変わらなかった。福島裁判所の判事大島俊太郎に嫁いだ叔母古関マス(三郎次の妹)は、長唄や義太夫を得意としていた。古関は叔母の官舎に遊びに行くと、三味線を聞いたり、従姉の琴を弾いたりした。 小学校3年生のとき、音楽好きな古関を見た母ヒサは、3オクターブくらい鍵盤のある卓上の玩具ピアノを買った。古関によれば、当時の福島市内でピアノは福島師範学校に一台あるだけで、他の学校はすべてオルガンであり、オルガンを持っている家庭はなかったという。息子の音楽の才能を伸ばすため、好きなことをさせたのは先見の明であった。 3年生から6年生のときの担任遠藤喜美治(きみじ/森山直太朗さん演じる藤堂清晴のモデル)は国語と音楽が専攻で、作文の時間には童謡を作らせ、音楽の時間にはその優秀な童謡に曲をつけさせたり、遠藤が作曲した曲を歌ったりした。古関は、「私の作曲の芽ばえには、この先生の影響が大きかったのである」と述べている。 古関は童謡の作曲が楽しくてしかたなかった。古関はクラスでおとなしい存在であったが、作曲の時間になるとクラスメイトが作詞を持ってくるようになり、他人の分まで曲をつけた。

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