【大草直子さんの提言vol.1】とびきり似合う2枚の服の「奥行きをつけていけば」、着こなしは安定します
「もっと素敵な自分」は必要?
一時期、メディアが発信する「素敵な大人の女性」になれなくて、辛い時期がありました。朝は早く起きてヘルシーな朝食を作り、頼りがいと理解のある旦那さんがいて。可愛くて素直な子供たちに囲まれて、自分自身もいつもきれいでキラキラしている。 なんという自分との乖離か。 その当時の私は、終わらない仕事に追われ(自分で選んでいるので、文句を言えないのがまたしんどい)、子供の運動会も最後まで見られない、朝食作りと弁当作りはほぼ家族に任せていたような状況。メイクや毎朝の身支度も大慌てですませ、けれど、仕事先では、余裕があるような涼しい顔をしていました。 そんなとき、毎月連続していた海外出張先のホテルで、ついに気持ちと頭がいっぱいいっぱいになって、涙が止まらなくなりました。なぜ泣いたのかというと、勝手に思い描いた「自立したイケてる女性」になれない自分が悔しくて。 SNSに映る私は、本当の私ではないじゃないか。格好つけて、無理して、「人様が言うところの素敵な私」でいなくてはいけないのか? それは、私が望むことなのか? そのときに決めました。素敵であることは、「誰かのため」ではなく「自分のため」――にしようと。 髪や肌のコンディションを美しく整える、毎朝メイクをする、印象的な着こなしを考える……は、決して他人のためではなく、自分のため。 最近、Z世代を中心に流行している「アグリーメイク」なんて、そのメッセージの最たるもの。眉なし、白塗り、これまでの概念で考えると奇抜で独創的! 「男受け」や「ステレオタイプの美しさ」のためではなく、メイクは、自分の楽しみと自己表現のため――ここまで思い切るのは難しいにしても、こうした意識の変化を見ることができるのは、心強い。 「もっと素敵な自分にと、そんなに追い詰めなくても良いよ」 今なら、そのときの私に言ってあげられそうです。 ※本稿は『見て 触って 向き合って』(マガジンハウス)からより一部を抜粋・編集したものです。