熊本地震から学ぶ、豪雨被災地・神瀬住民視察団
令和二年七月豪雨によって被害を受けた熊本県球磨村。村内でも孤立が長引いた神瀬(こうのせ)地区は家屋の2階まで浸水、球磨川の支流である川内川からは土石流があふれ甚大な被害を被った。当初より住民の救助や避難、物資調達に奔走した神瀬神照寺の岩崎哲秀住職(47)はボランティアの調整も行いながら復旧作業にあたり、住民みずから地域の再生を考えようと「こうのせ再生委員会」を組織。地域力により復旧復興へと進んでいる。そんな地域住民がコミュニティの具体的な再生を知るため、11月28日に4年半前の熊本地震で被害を受け復興途上にある西原村や益城町の仮設団地を視察した。(文・写真=福地 波宇郎) 熊本地震から学ぶ、神瀬住民視察団
平地がない森と水の集落
球磨村は森林面積が約9割、急峻な山の谷間を球磨川が流れている。八代と人吉の中間に位置する球磨村神瀬地区は東西を山に挟まれ、日照時間が短く「半日村」とも呼ばれてきた。 川沿いの平地部に住宅地が密集。過去の水害に学びかさ上げなども行ってきたが今回の豪雨水害ではほとんどの家屋が浸水し、神瀬では3人が水害の犠牲となった。 住民は避難所や仮設住宅に身を寄せていたが村内に十分な場所の確保は難しく、自宅から避難所まで車で1時間半かかっていたため、公共交通もストップし車も流された人たちは家屋の片づけにくるのも容易ではなかった。 神瀬の住民30名からなる視察団が西原村を見た時の第一声が「平地がこんだけあればよかねぇ」という言葉だった。
災害から5年目の努力と現実
視察団をコーディネートした「故郷復興熊本研究所」の佐々木康彦理事長(41)は地震当時から同村に拠点を置いて支援を続けており、現在は「こうのせ再生委員会」にも協力している。同氏の紹介で災害公営住宅・山西団地を視察。役場担当課の係長から説明を受け団地造成までの経過やデザインコンセプト、入居状況や建設費用などの話を聞き、質問などを行った。 次に訪ねた大切畑地区は地区内に断層が走り地震で集落の家屋半数が全壊した。4年半たった今も擁壁の建設が続き、造成が終わった土地に家が建ち始めている。同地区の区長から説明を受け、行政との協力や、残る人出る人との間で軋轢があったこと、5年を迎えようとして家が建ち始めていること。一つ一つの話に神瀬の人たちもうなづきながら自分たちのケースと照らし合わせていた。