「空襲は怖かった」若くして亡くなった父に代わり、グアム戦没者の遺骨収集に取り組む男性の思いとは
進まない遺骨収集。直面する壁
「グアムはアメリカ領。日本人の意向で簡単に遺骨を収集することができるわけではないんだよね。現地法令で、公文書等により確実に遺骨が埋まっていることが証明できたとしても掘れないんだよ。生き残った人から『この付近で埋葬した』といった証言が残ってたり、現地の方から『このあたりに洞窟があって遺骨がありそうだ』なんて情報をもらったりするんだけど、どうすることもできないんだよね」 公文書や証言でここに遺骨があると分かっていても、遺骨探査レーダーに反応するか、何らかの原因で遺骨が偶然露出してきた場合などでなければ掘り起こすことができないという。この現地法令の大きな壁に遺骨収集事業は直面している。また、遺族とその他の方々とでは遺骨収集に対するモチベーションが異なる現実もある。 「2009年11月、水道工事の現場から遺骨が発見されたと現地から連絡があったんだよね。なんとか祖国に連れて帰りたいと思って駆けつけたんだよ。2010年1月~1月にかけて9柱引き揚げたところで、まだ2柱ご遺骨が残っているのに途中で埋めて戻してしまったんだよ。後になって考古学者が入院して遺骨の鑑定ができないからと言われたんだけど、考古学者なんて何人もいるのにね。それから6年くらいかな。遺骨収集を担当している厚生労働省や政治家に何度もお願いしてようやく2016年に再び掘り起こすことになったんだけど、その時に日本側の担当者から『これで勘弁してほしい』と言われたんだ。公文書では72柱ほどご遺骨が埋まっていることが推定されていたんだけどね。他にも、現地の探検家が洞窟の中でご遺骨を発見したんだけど、すぐ引き揚げたいと言っても、日本側の担当者から『いまは雨期だから来年まで待て』と言われてしまってね。雨期が過ぎてから見に行ったら行方不明になってしまったんだよ。そんな話ばっかりで、本当に亡くなった兵隊さんたちが浮かばれないよね」
戦後80年を控え、次世代への思い
来年には戦後80年を迎える日本社会。いまだ進まない遺骨収集。一方で、当時を知る者は少なくなり、戦争の記憶が薄れていく。平太郎さんは、これからの時代を担う若者に、平和な社会の構築と戦没者への祈りを受け継いでほしいと願っている。 「まずは風化させないことが大事だよね。慰霊式典の代表者挨拶も形骸化しつつあるように感じるね。先の大戦で亡くなられた方々の犠牲を忘れず、戦没者の方々を敬う気持ちを繋いでいきたいと思うね。自分も高齢なのでいつまで元気でいられるかわからないので、後継者育成をしていきたいと思っているよ。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ。ここ数年はニュースを見て、毎日憂鬱な気持ちになっているね。私たちの活動は雀の涙かもしれないけど、日本の若者が平和の担い手となるきっかけになればと思っているね」 「先の大戦に対していろいろな考えの方がいるけれども、私個人はあの戦いは一体なんのための戦いだったんだろうかと思っているね。残念ながら、戦没者慰霊や遺骨収集に関心のある方の中には、戦争を肯定する意見の方も少なくない。この前も、アジアを解放するための戦争だったと言われたよ。たしかに、結果としてアジア諸国が戦後独立するきっかけにはなったかもしれないよ。でも、解放のための戦争でどうしてアジアの人々が約2,000万人も亡くなっているんだろうか。また、多くの餓死者を出し、将来ある日本の若者が大勢亡くなったことはどう考えるんだろうか。残された家族は戦後、本当に苦労したよ。良い戦争、正しい戦争なんてものはないんだよね」 戦争を直接体験し、戦後の平和を築いてきた世代の多くが鬼籍に入る中、ご遺骨の帰還なくして戦争は終わらないという強い思いを胸に、平太郎さんは第一線で戦い続けている。様々な世代や立場を超えて、多くの方々に遺骨の帰還について関心を持っていただけることを願っている。
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