「空襲は怖かった」若くして亡くなった父に代わり、グアム戦没者の遺骨収集に取り組む男性の思いとは
亡き父に代わって叔父の慰霊に
そんな美容室事業と並んで力を入れてきたのが、戦没者遺族としての活動だ。平太郎さんはもう1人の叔父の五郎さんをグアムの戦いで亡くしている。 「父は、末っ子だった五郎さんをとてもかわいがっていたんだよね。五郎さんは、結婚式を控えて徴兵された。通信兵として満州、そしてグアムへと向かった。彼からはちょうど100通の手紙が駒込の私たちの家に届いていたんだよね。私宛の手紙もいくつももらったよ。幼い私が読めるように全部カタカナで書いてくれていたんだよね。最後にグアムから届いた可能性のある手紙は、お別れの手紙のようだったね」 平太郎さんのお父さんは、五郎さんの墓石を作る時も幼い平太郎さんを石屋に連れて行っては思い出話をしたという。若くして亡くなった父がもし生きていたら、かわいい末っ子の供養を大切に取り組んだだろう。父の代わりに長男である自分が五郎さんの慰霊をしなければ。平太郎さんは決心した。 「戦没者遺族としてグアムでの慰霊に参加するようになり驚いたんだよね。てっきり遺骨はほとんど帰還しているのかと思っていたんだけど、厚労省発表によると戦没者19,135名に対して帰還したご遺骨はわずか520柱ほど。日本軍が戦った各地の遺骨の収集状況が平均45%ほどなんだけど、グアムは約3%。これはなんとかしなければと思ったね」 平太郎さんは、グアムの日本人会の有志がグアムの戦いで亡くなった方々への慰霊を行うことを目的にピースリング・オブ・グアムという団体を設立したことに呼応して、日本側の団体としてピースリング・オブ・グアム・ジャパンを立ち上げた。現在は、NPO法人となり、毎年グアムで開催される慰霊行事に参加。日本でも3月に千鳥ヶ淵戦没者墓苑での慰霊行事を行っている。また、遺骨収集の推進のために厚生労働省や政治家への陳情や写真展、若者向けトークイベントなどの啓発にも取り組んでいる。だが、遺骨収集は簡単には進まないという。