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【戦後75年特集】モンゴル抑留 強制労働、極寒の大地で両足失った元日本兵…一度は恨んだ国で孤児を救う 伝え継ぐ「戦争の記憶」

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中京テレビNEWS

 現在は友好関係にある日本とモンゴル。75年前は戦火を交えたことがありました。何が歴史を変えたのか。  そこには、壮絶な体験を乗り越え、絆を結んだ人たちの努力がありました。

 兵庫県神戸市に住む友弘正雄さん(95)。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きてきました。  戦争で命と引き替えに、両足を失いました。足を失ったのは、日本から遠く離れたモンゴルでした。

 1945年8月8日。第二次世界大戦が終わる直前、ソ連が、日本に宣戦を布告。  日本が事実上の植民地としていた満州を攻めました。この時、モンゴルも参戦。  隣接するソ連との間で相互援助条約を結んでいたのです。     そして、日本は戦争に負けました。  すると、ソ連の指導者・スターリンは、日本兵をソ連に移し、強制労働をさせる命令を下しました。  これにより、満州などにいた約60万人の日本兵や一部の民間人がシベリアなどに抑留され、6万人が死亡、「シベリア抑留」として知られています。

 一方、ほとんど知られていないのが「モンゴル抑留」。  約1万2000人が2年にわたって抑留されました。友弘さんは、モンゴルに抑留された、元日本兵なのです。 「生きるのが精いっぱいでね。明日は死ぬかもわからん。今度は自分の番かな、なんて思いながら、生きて帰りたい、お母ちゃんに会いたいって」(友弘正雄さん/2019年取材)

 そして、1年前の2019年の夏。友弘さんは再びモンゴルへ行くことに。そのワケはー。 「気持ちのふっきり。最後にやる終活として、きちっとしておきたかった」(友弘さん)  抑留された1万2000人のうち、犠牲になったのは、約1600人。  友弘さんは、戦友たちを慰霊するためにこれまで40回以上、モンゴルへ。その旅も、今回が最後です。 「最後に動けるから行こうと、1人でいくつもりだった。向こう(モンゴル)で死んでもいいから」(友弘さん)  モンゴルに着いた友弘さん。94歳で臨んだ最後の慰霊の旅が始まります。

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