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W杯史に残る名勝負を目撃した、 BGMが世界一美しいスタジアム

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しかし、すぐにそれは無理だとわかった。スタジアム周辺は再開発が進んでいて、風景が一変していたからだ。かつてサンタ・フスタ駅前から通じる大通り沿いから望むことができたスタジアムの外観は、すっかり見えなくなっていた。シネマ・コンプレックス、ショッピングセンター、ホテルなどに遮られていた。スタジアムのあるべき姿を語る時、理想的と言われる複合施設化が、スタジアムを囲むように進んでいたのだ。  その時に観戦した試合は1998-99シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)初戦だった。セビージャの試合ではない。レアル・マドリード対インテル戦だ。  レアル・マドリードの優勝で終わった1997-98シーズンの準決勝ドルトムント戦で、ゴールを壊すなど、レアル・マドリードのサポーターが働いた狼藉の、これは制裁措置だった。UEFAからレアル・マドリードはホームで開催する権利を1試合、剥奪されたのだ。ラモン・サンチェス・ピスフアンはその代替地だった。

昔、広く大きく感じた小学校の校庭や校舎が、大人になって訪ねてみると小さく感じられたことはないだろうか。16年ぶりに訪れたラモン・サンチェス・ピスフアンにそんな印象を抱いた。イメージより小振りだった。82年のスペインW杯は初めて出かけたW杯で、欧州でサッカーを観戦するのも初めてだった。しかもそこで観戦取材した準決勝、西ドイツ対フランスは名勝負。分不相応な一戦を見たスタジアムということで、イメージはいつの間にか膨らんでいたのかもしれない。  1998年9月16日。スタジアムはまだ真夏の陽光に包まれていた。ツバメが、ここは天国だと言わんばかりに、はしゃぐように舞っていた。外敵が少ないからのか、スタジアムでよくツバメに遭遇するが、ラモン・サンチェス・ピスフアンも例外ではなかった。正面スタンド最上階の記者席に座れば、頭上の屋根にその巣をいくつも発見することができた。  ピッチでは、両軍選手のウォーミングアップが始まっていた。スタンドも次第に埋まり始めていた。それとともにフラメンコのリズムを刻む手拍子が、スタンドのあちこちで、湧くようになった、スタジアムに流れるミュージックに合わせて。

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