尹大統領、前国防相・警察トップ2人と秘密会合…軍と警察を動員した内乱企画
3日の非常戒厳令は、大統領室の参謀はもちろん、国務委員の大半も知らないうちに奇襲的に宣布された。事前に知っていたとすると、内乱謀議に積極的に加担していたことになる。警察庁国家捜査本部の非常戒厳特別捜査団(特捜団)が前日に出頭させた警察庁のチョ・ジホ庁長を11日未明に緊急逮捕したのも、このような認識にもとづくものとみられる。結局のところ尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は、冲岩(チュンアム)派(尹大統領と同じ冲岩高校の卒業生)の軍の指揮官を通じて軍を動かすとともに、警察力を動員して国会による非常戒厳の解除を阻止するという国憲紊乱(ぶんらん)を構想したわけだ。 非常戒厳宣布の3時間前、尹大統領がキム・ヨンヒョン前国防部長官を同席させ、チョ庁長とソウル地方警察庁のキム・ボンシク庁長を三清洞(サムチョンドン)にある一般家屋に呼び出し、4人で会合が行われていたのも象徴的だ。冲岩派を中心とする軍と警察力を動員して内乱を完成させるという企画がはっきりする場面だ。その席で尹大統領はおよそ5分間、一人で熱弁をふるって指示事項を伝え、それをまとめた文書をチョ庁長に渡したという。国会や文化放送(MBC)など、非常戒厳宣布後に掌握すべき10あまりの場所が示されたものだった。尹大統領が非常戒厳宣布後、チョ庁長に6回も電話をかけ「国会議員の逮捕」を指示したというのは、尹大統領が最初から内乱を成功させるために国会の制圧を重視していたことの傍証だ。ヨ・インヒョン防諜司令官がチョ庁長に電話をかけ、政治家を逮捕するために捜査官を100人送ってほしいと要求したというのは、さらに露骨だ。チョ庁長がこの要求を黙殺したため、警察庁の治安監にも電話がかかってきて同じ要求をされたという。 チョ庁長とキム庁長はこれまで、非常戒厳宣布当日の行動を徹底的に隠してきた。チョ庁長は5日の国会行政安全委員会で、「(事前に)戒厳宣布のことは知らなかった」とし、非常待機の通知を受けただけだと語っている。チョ庁長は、共に民主党のヤン・ブナム議員室に提出した日程と動線を記した資料でも、非常戒厳当日の午後6時28分から午後10時2分まで公館にいたと述べている。尹大統領との秘密会合については言わなかった。チョ庁長は警察の取り調べで、尹大統領の指示の大半を拒否したと述べつつ、「一種の抗命」だったと主張しているが、特捜団はチョ庁長の内乱加担容疑は濃厚だと判断している。 警察庁特捜団は11日午前、18人の捜査官を投入して大統領室の家宅捜索に向かった。この日の家宅捜索で確保しようとした文書は、非常戒厳宣布時に国務会議が行われた場所、当時の出入り記録、会議録などだった。「内乱に着手した経緯」をめぐる、大統領と国務委員の発言や足取りを把握するためのものと考えられる。しかし、警察による大統領室への家宅捜索は、「軍事上秘密を要する場所は、その責任者の承諾なしには押収または捜索できない」と定める刑事訴訟法の条項に則って実現しなかった。大統領室などは「軍事上秘密を要する場所」であり、その責任者は尹大統領だ。尹大統領が権限を維持し、それを拒否する限り、大統領室への家宅捜索は不可能だ。大統領室の関係者もこの日、「(家宅捜索には)法と以前の政権の慣例にもとづいて対応している」と述べた。このような理由から、過去の大統領府に対する家宅捜索は任意提出を受けるかたちで行われた。警察特捜団の大統領室に対する家宅捜索も、実際の家宅捜索を目的にしていたというよりは、捜査の意志を強調したものと解釈しうる。今回の警察特捜団も、任意提出のかたちで資料を受け取った。 警察特捜団がチョ庁長とキム庁長の拘束令状請求に続き、尹大統領の身柄確保に乗り出すという観測も示されている。警察のある高位幹部は「たとえ発布された令状の執行が難しくても、令状請求手続きそのものが捜査動力や事件の関係者に対する圧力の観点から重要だ」として、「最重要被疑者である大統領の拘束令状の請求が急がれる」と語った。 イ・ジヘ、チャン・ナレ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )