【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】昭和の名捕手・大矢明彦が語る"ミスタープロ野球"<前編>
大矢 中畑は駒澤大学の後輩だけど、どう見ても田舎っぽかったよね(笑)。長嶋さんの守備はもっと洗練されていた。これはかなり後になってから思ったことだけど、サードとファーストはスタンドのお客さんから一番近いところにいるから、ファンを呼ぶという意味では大事な役割をしているよね。昔の球場はスタンドまでの距離が近かったし。 僕はキャッチャーだったから、長嶋さんの守備を見て分析するようなことはなかったけど、プロ野球選手としての立ち居振る舞いや動きはすごいなと思っていた。 ――プロ野球には長嶋さん以前、名手と言われる内野手はたくさんいました。 大矢 吉田義男(元阪神タイガース)さんや広岡達朗(元巨人)さんなど、難しい打球をきっちり捕ってアウトにする玄人好みの人が多かったよね。長嶋さんの守備には、野球をよく知らない人さえ魅了するものがあって、「ああ、カッコいいな」と思わせてしまう。アウトにするということを考えれば、投げたあとの右手のひらひらとかは余計なことなのかもしれないけど、野球ファンはそこにたまらない魅力を感じたんだろう。 ――そんな長嶋さんと同じプロ野球選手として対戦することになると、10代の頃に想像していましたか。 大矢 そんなことは思ったことがなかったね。プロ野球を少し意識したのは駒澤大学に入学してから。ドラフト会議が始まったのが1965年(昭和40)なんだけど、3年生くらいになってプロからの誘いがかかるようになって、「もしかしたらプロに行けるかもしれない」と思うようになった。 何球団かから話があって、結局、ヤクルト・アトムズ(現東京ヤクルトスワローズ)から7位指名を受けたんだよね。ヤクルトと聞いて驚いたんだけど、父親が「東京のチームだし、セ・リーグだからいいんじゃないか」と言って入団することになった。 ――当時は巨人の全盛期ですね。 大矢 王貞治さんは早実の先輩だし、高田繁さん(明治大学→巨人)とは大学時代に試合をしたことがあったけど、それ以外はみんな、テレビで見る選手ばかり。 長嶋さんとはまったく接点がなくて、憧れの存在だった。あれだけプロらしいメンバーが揃ったなかでもっとも輝いていたのが長嶋さんだった。はじめは、そういう人たちと対戦することが現実のこととは思えなかったね。 ――巨人と対戦するヤクルトの選手たちはどんな感じだったんでしょうか。 大矢 僕が入団した頃、チームにはベテランが多かったんだけど、みんながこう言うわけ。「巨人の選手の給料を見てみろよ。オレたちの何倍も何十倍ももらっているんだから。あんなチームには勝てないよな」と。 ――圧倒的な差があったということですね。長嶋さんとのファーストコンタクトは?