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高橋尚子「何かしらの努力を世界一やった人が栄光を掴める」

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NEWS ポストセブン

 2000年に行われたシドニー五輪マラソンで、日本女子初の金メダルを獲得し、一躍国民的ヒロインとなった高橋尚子(48才)。「すごく楽しい42kmでした」。レース後のインタビューで、そう語った笑顔が印象的だったが、その笑顔の陰で、どんな日々を過ごしてきたのか。高橋が、これまでを振り返る。 【写真】シドニー五輪で優勝した時に笑顔でゴールテープを切る高橋尚子さん

 * * *  私が陸上と出会ったのは岐阜市立藍川東中学に入学したときです。仮入部のときに靴の裏にとんがった針がついているスパイクや、スタートのときに使うスターティングブロックを見て、「すごい!」と思ったことを覚えています。  その最たるは、同世代の部員たちが練習をするときに、スターターピストルを鳴らしていたこと。ピストルなんて、テレビでしか見たことがなかったので、「私も鳴らしてみたい!」という憧れから入部しました。ホントに、それくらい軽い気持ちで陸上を始めたのです。 〈入部後は、800mを中心とした中距離走の選手だったが、中2のときに参加した県大会の新人戦で初優勝。県の合宿に初めて参加することになる〉  合宿では、いきなり1000mを5本走るといった練習をすることになり、驚きました。というのも、私はそれまで400m以上走る練習をほとんどしたことがなかったんです。しかも毎日、レースを走るようなハードさで、「こんなことをしないと戦えないのか」と、すっかり弱気になりました。  そんなある日、指導に来てくださった、かつて岐阜県代表として日の丸をつけて戦ったことのある狩野靖先生から、こう言われたのです。 「自分は毎日の練習のときに、みんなよりも、100mを3本プラスしていた。それが、日の丸をつけることにつながっていったんだ」と。

 最初は、「その程度で日の丸なんてつけられるわけがない」と思いましたが、聞いた以上、やってみようと思って、そのときから毎日、みんなより3本多く練習するようにしました。  よく考えると、1日たった3本でも、1週間続ければ21本、1か月で84本になるんです。誰しも一気には強くはならないけれど、毎日、少しずつ努力することはできるんです。その後も、高校生になってからは10分、大学生のときは30分、実業団に入ってからは1時間を目標に、ほかの選手より長く練習していました。  小出義雄監督(享年80)のもとで練習していた頃は、朝1000回、昼1000回の腹筋をやっていました。大変だと思うかもしれませんが、毎朝、顔を洗ったり、歯を磨いたりすることと同じです。習慣になればできる。そんなに大変なことではないんです。それに、100mを3本など、1回の行動だけを見れば、すごく小さなことかもしれませんが、それを毎日やり続けていたから、まったく違う景色に辿り着けたと思います。  オリンピックのような舞台では、周りの選手がみんな、すごく強く見えます。みんな世界一を狙って、この場所に立っているわけですから。でも、私がスタートラインに立ったとき、不安な気持ちを打ち消せたのは、それまでの努力でした。 「この中で私ほど腹筋をしてきた人はいない!」。そう思ったら、緊張で足がすくむこともありませんでした。  運がよければ世界一になれると、私は思ってはいません。腹筋でもなんでも、何かしらの努力を世界一やってきた人がその栄光をつかめるのかなと思います。不安になって気持ちがぐらつきそうになったときに“これだけは負けない”と思えることがあると、ぶれずに頑張れますよ。 【プロフィール】 高橋尚子(たかはし・なおこ)/1972年5月6日生まれ、岐阜県出身。中学1年生で本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業、大阪学院大学を経て、実業団・リクルート入り。1998年に名古屋国際女子マラソンで初優勝して以来、マラソン6連勝を果たす。2000年、シドニー五輪では陸上競技としては64年ぶり、日本女子初の金メダルを獲得し、同年、国民栄誉賞を受賞。2001年、ベルリンマラソンでは2時間19分46秒の世界記録(当時)を樹立。2008年10月に現役引退後はスポーツキャスター、マラソン解説者などで活躍している。 写真/共同通信社 ※女性セブン2020年10月22日号

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