まだ走っていたのか! 井川線最古の「オープンデッキ」客車 あれ!? 列車の“中間に”機関車?
ルーツはダム建設のための鉄道
大井川鐵道井川線は、千頭駅(静岡県川根本町)を起点にして大井川に沿いながら井川駅(静岡市葵区)へ至る、アプト式区間を除き非電化の単線路線です。前身はダム建設など電源開発工事用の中部電力専用鉄道(当初は大井川専用軌道)で、資材や人員輸送に活躍し、1959(昭和34)年に大井川鐡道井川線へ引き継がれました。 途中のアプトいちしろ~長島ダム間は、長島ダムによる線路付け替えにより、90パーミル(1000mの距離で90m上がる)の勾配を克服するため日本唯一のアプト式区間となっており、「南アルプスあぷとライン」の愛称が付されています。アプト式とは、2本のレールの間にさらに歯形の「ラックレール」を敷き、機関車の歯車とレールとをかみ合わせて走行する方式のことです。 【写真】これが古~い客車の内部です 大井川専用軌道時代は762mm軌間で開通。後に1067mm軌間に改軌して、中部電力専用鉄道となりましたが、車両のサイズは普通鉄道よりひと回り小振りです。車両の幅は約1.8mで、高さは約2.7mですが、これは線路からの高さ。車内は最も高い部分で約2mと、高身長の人は首を垂れて乗降するほど小さいのです。 さらに、2024年現在でも全列車が客車列車で非冷房です。井川方向には運転台付き制御客車クハ600形、千頭方向にはディーゼル機関車DD20形が固定となり、閑散期と繁忙期によって間に挟む客車の両数を変更する編成です。付随の客車はスロフ300形とスロニ200形で、製造時期によっては「バス窓」仕様です。バス窓とは俗称で、上段窓がゴム(Hゴム)で固定されたもの。路線バスに採用されたからその名になりました。
レトロの一言では片づけられない客車
井川線は奥大井の紅葉が楽しめる秋が繁忙期です。最大8両編成となり、団体客が入るなど乗客数が増える場合は、千頭側に短編成の制御車+機関車のユニットを増結するため、編成の中間に機関車が挟まる、まるでアメリカの貨物列車のような珍妙な編成が見られます。 2020年、筆者(吉永陽一:写真作家)はこの珍編成を目撃し、増結の短編成側に赤とクリーム色を纏う見慣れぬデッキ付き客車、スハフ4の存在を確認しました。この客車の型式名はスハフ1形。1953(昭和28)年に帝国車輌工業社製という、井川線最古参の客車です。製造時はまだ中部電力専用鉄道の時代であり、作業員輸送に使用された後、路線が井川線へとなってから旅客列車で活躍してきました。いわば井川線の生き字引の存在に、「まだ走っていたのか」と感嘆の声を上げてしまったほどです。 その偶然の出会いから4年後の2024年夏。井川線の千頭駅始発201列車は4両の客車が連結され、そのうちの1両に目が留まりました。まさかのスハフ4に再会です。201列車は定期列車であり、イベントでもないのにさりげなくスハフ4が編成に組み込まれていたのです。 オープンデッキのステップを上がって車内へ。ロングシートに衝立で仕切られた車掌室があるシンプルな構造です。天井部は梁が剥き出しで、吊り革の代わりに握り棒が2本吊られています。床はリノリウム、天井と側部は板張り。窓は一段下降仕様の木枠となり、車内全体はかなり使い込まれている感がします。レトロと一言では言い表せない年季の入った車内を見渡し、約70年前から走り続けてきた歴史が染み込んでいる空間に、ひとまず腰を落ち着かせました。 車掌がデッキのドアを閉め、デッキに落下防止の鎖をかけてから発車です。井川線では車掌が下車駅を尋ねます。スハフ4の乗客が下車する駅に到着するとドアを開けて鎖を外すのですが、乗降がなければドアは閉めたまま、鎖もかけたままとなります。ほかの車両は側面ドアの手動開閉式で、これも車掌が開閉します。つまり、井川線は全列車が手動式ドアなのです。