秋吉久美子が下重暁子に語る、母への思い「仲良しだったけど、理想の娘ではなかった。大学受験で目標が持てず、女優の道へ」
親を看取る時が訪れたら…どのように受け入れ、それから先の人生を歩んでいけばいいのでしょうか。年月が過ぎても「母を葬(おく)る」ことができないのはなぜか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんが“家族”について語り合った『母を葬る』より、一部抜粋してご紹介します。 【写真】秋吉さんが、「私は母にとって、理想の娘ではなかった」と思う理由は… * * * * * * * ◆理想の娘ではなかった 秋吉 父は亡くなる間際、自宅療養をしていました。往診にきてくれるドクターを迎えるたびにパジャマを着替えてワイシャツのボタンを留め、上下スーツ姿でネクタイまで締めていました。お医者さまに失礼になるから、といって。自分の家なのに……。 下重 昔の人って、そんなところがありましたね。 秋吉 仲良しではあったけれど、私は母にとって、理想の娘ではなかったと思っています。 下重 あら、突然。どうしてそんなふうに思うの? 秋吉 母は中学を出てすぐ看護学校に進みました。本当は上の学校に進みたかったけれど、11人もいるきょうだいの真ん中に生まれた家庭の事情で断念せざるをえなかったんです。ずいぶん時間が経ってから気づきましたけれど、自分が叶えられなかったことを私に求めていたところがあったと思います。
◆成績優秀だった学生時代 下重 秋吉さんには学問を志してほしかった? 秋吉 はっきりいわれたわけではないけど、名門大学で学んでほしかったはず。それも、お金があまりかからない国立大学で。私、中学生くらいまでは、大して勉強をしなくても成績がよかったんです。一学年に500人くらい生徒がいるなか、クラスで1番、学年で10番以内に入ったりもした。母は嬉しかったと思います。 ところが、受験生が一番勉強しなくてはいけない高校3年生の夏休みに、斎藤耕一監督の映画『旅の重さ』のロケで四国に行っていました。自分でオーディションに応募して役をもらったのですが、 「夏休みにどこかへ行けば、受験勉強しなくて済むぞ」 なんと、そんなモチベーションだったんです。どういうわけか、「勉強しない=入試に失敗する」という頭はまったくなかったんですね。 こうして大学受験は大失敗、滑り止めにも全部落っこちました。