ひろゆき、中野信子と脳を科学する② 頭がいい人はなぜ嫌われるのか【この件について】
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。前回からのゲストは脳科学者の中野信子さんです。ひろゆきが中野さんに聞きたかったこと。それは「なぜ頭がいい人は嫌われるのか」。そして、われわれが無意識に感じている身長の高さと社会的地位の関係も。勉強になります。 中野信子いわく「頭のいい男性はクジャクの尾羽のようなランナウェイ説が当てはまるかもしれない」 *** ひろゆき(以下、ひろ) 中野さんに聞きたかったのは「なぜ頭がいい人は嫌われるのか」ということなんですよ。普通、能力が高い人って好かれるじゃないですか。例えば「足が速い」とか「野球がうまい」とか。でも、頭がいい人ってけっこう嫌われますよね。 中野信子(以下、中野) 確かにそうですね。 ひろ 頭の良さが好かれることにつながらないのはなぜですかね。 中野 人類の進化史を考えると「頭がいい」=「好かれやすい、選ばれやすい」にはなりにくいからではないでしょうか。一方で足の速さなどの身体能力が重視されているのは、肉体を駆使した戦いの歴史が長かったためと考えられます。現代の戦争においてすら身体能力の高さは極めて重要です。強い個体を選好し、それに従えば、自身は弱くても生き延びられる確率は高くなる、という状況が何世代にもわたって続けば、当然、身体能力の高い個体を選好する性質は強くなっていきます。逆に、頭がいい人についていっても、その人は生き残るために自分だけ逃げたりする可能性が(笑)。 ひろ あはは(笑)。つまり、頭の良さが生存や生殖に直結する時代は、人類の歴史の中でもまだ短いということですね。 中野 今でも実は直結しないですよね。ここ200~300年くらいは、頭がいいことと社会経済的地位との間にやや相関が見られるようですが、たかが数百年では遺伝的なベースのある選好は変わらない。もし、この先1万年くらい頭のいい人が生き延びやすい時代が続けば変わるでしょう。 ひろ 前回の話じゃないですけど、頭が良くて合理的に考えると「あいつは人の心がない」と言われたりしますからね。 中野 頭がいいことと、社会性(順番を守ったり、譲り合ったりする集団で生きるためのルールなど)は必ずしも方向が一致するわけではないんですよ。社会性は脆弱な個体を助けるためのものですから。もし、将来的に人類の個体が単独で生殖も摂食も可能で、次世代の養育の必要もない環境が長く続けば、人類が社会性を持つ必然性はなくなります。そうなると頭の良さが生存確率に直結する世界になる未来がありえます。 ひろ いずれにしても、めっちゃ時間がかかりそうですね。ただ、もっと不思議なのは、人類は頭の良さや科学的知識に対して逆行することがあるじゃないですか。 中野 というのは? ひろ 例えば、医学の進歩を見ても必ずしも合理的な方向に進んでいるわけではないですよね。天然痘を予防する種痘や、麻疹(はしか)のワクチンのように科学的に有効性が証明されているものでさえ、受け入れられるまでにかなりの時間がかかっています。 中野 生物学者や進化社会学者と「人間の知能の発達は必ずしも生存に直結するものではなかったかもしれない」という話をしたことがあるんですよ。例えば、現代では頭のいい男性は一見モテる傾向があるような感じがしますよね。でも、これはクジャクの尾羽のような性選択によるランナウェイ説が当てはまるかもしれないんです。 ひろ ランナウェイ説? 中野 進化生物学における性選択の理論のひとつです。クジャクの尾羽がわかりやすい例で、長い尾羽は生存には不利ですが、メスに好まれるために進化してきました。同じように高い知能も、「実はいらないんじゃない?」と。生存には必要ないけれど、配偶者選択の過程で選ばれて無駄に高くなりすぎた可能性があるんです。ですから、「知能は高いほうがいい」が本当にいいことなのかどうかを吟味する意味はあるかもしれません。