なぜ山梨学院・長谷川監督は「真の日本一になろう」と伝えたのか? 異色の指導歴で手にした武器
無観客で行われた異例の第99回全国高校サッカー選手権大会を制したのは山梨学院高だった。就任2年目で山梨学院を11年ぶり2度目の優勝に導いた長谷川大監督は「戦術と戦略がうまくハマったと言ってもらえるとうれしい。だけど、運がよかったと言えばそれまで」と謙虚な言葉で心境を口にする。しかし、選手たちの個性を引き出す指揮官の手腕がなければ、頂点に立つことはなかった。高校と大学で監督を経験した異色の経歴を持つ長谷川監督は、どのような人物で、いかにして選手たちを優勝に導いたのだろうか? (インタビュー・構成=松尾祐希、写真=Getty Images)
長谷川大監督、波乱万丈の指導者人生
最後のキッカーは2年生の谷口航大。真ん中にボールを蹴りこむと、埼玉スタジアム2002に歓喜の輪ができた。 選手権優勝の喜びをかみしめる山梨学院の選手たち。決して大会前は押しも押されもせぬ優勝候補の筆頭ではなかった。準々決勝で昌平高、準決勝で帝京長岡高、決勝で青森山田高。立ちはだかる優勝候補を緻密な分析で丸裸にしながら、自分たちの武器を最大限に発揮する――。次々に難敵を撃破し、11年ぶり2度目の優勝を勝ち取った。 一戦ごとに自信をつけ、破竹の勢いで勝ち上がった山梨学院。個性的な選手たちをまとめ上げたのが、長谷川大監督だ。 山梨学院の指揮官に就任して2年。さまざまな困難を乗り越えて戴冠を手にしたが、ここまでの道のりは簡単ではなかった。2004年から2012年まで秋田商業高で指揮を執り、その後は神奈川大の監督や山梨学院大のヘッドコーチなどを歴任。さまざまな場所で知見を深め、今のスタイルに行きついた。波乱万丈の指導者人生。長谷川監督は何を思い、歩みを進めてきたのか。
大学サッカーで学び、「伝える力と練る力」が武器に
――山梨学院で指揮を執るまでの経緯を教えてください。 長谷川:秋田商は公立高校で転勤がある。分かっていたけど、最初から学校を離れるつもりで指導に当たっていたわけではなかったので……。無名校から再スタートをするのであればまだ良かったけれど、ライバル校への転勤を打診されたんです。今まで関わってきた子どもたちの想いを考えると、これは無理だ、これ以上は秋田で戦えないと感じました。そこで新天地を求めたんです。 秋田商を辞めたのは3月31日。仕事なんてすぐには見つかりません。そこで仙台育英高の監督の城福敬さんが私が一生懸命、秋田商でやっていた姿を見てくれていて、声をかけてくださったんです。「辞めるのはもったいないから一緒にやるか。手伝いながら次を探せばいい」と話してくれたのは今でも覚えています。なので、5月ぐらいから週4日は秋田から仙台に通って指導をしていました。 夏のインターハイにも連れて行ってもらい、そんな暮らしを半年ぐらいしていた中で残念ながら選手権は負けてしまいました。来年について城福さんから「同じような形だったら面倒を見られる。だけど、うちで正規に雇うのは難しい」と言われていたので、新しい場所を探すとなった時に自分の母校・中央大で監督をしていた佐藤健さんから声をかけてもらい、神奈川大の監督をやってみないかと誘ってもらったんです。 ――2014年から4年間指導された神奈川大では天皇杯に出場し、選手をJリーグの舞台にも送り出しました。 長谷川:そこで当時4年生だった伊東純也(現:KRCヘンク)がJリーガーになり、1年間だけ指導した金子大毅(現:浦和レッズ)が五輪代表候補にも選ばれるなど、上のステージに進んだ選手にも少し携われました。大学リーグでも関東リーグ1部と2部を経験し、天皇杯では町田ゼルビアにも勝たせてもらい、ジュビロ磐田には負けたけど上のレベルはすごいなって思ったんです。高校ではできなかった経験をさせてもらいました。より高いレベルのサッカーに触れて、自分で勝負することが可能なんだと。 なので、神奈川大での経験は大きなターニングポイントでした。磐田や町田と戦った時に相手をすごく分析し、Jクラブを倒すためにどういう形でチームを作って持っていくべきかを考えたんです。それが今回の選手権につながりました。関東リーグを戦っていた時は毎節ごとに分析シートを作っていました。対戦相手の全選手をプロファイルし、ビデオを見ながらずっと考えていましたね。それをもとにゲーム分析し、攻撃と守備の特徴を伝えるミーティングをひたすらやっていたんです。それが大学サッカーにおける自分のフォーカスの仕方。勝っても負けても自分の思った通り進むことが多く、自分の中で自信になっていったんです。ゲームを見る目、相手を見る目、相手を見抜く目、自分たちの力を出すための計画。そういうものが大学サッカーで磨かれ、気づかせてもらいました。 ――相手をよく分析した上で、自分たちの強みを出すことが大事なわけですね。 長谷川:選手たちにも「自分たちの弱みではなく強みを発揮しないとダメなんだ」と言い続け、特徴を養ってくれました。それは指導者も同じ。僕はそれを大学サッカーで見つけました。相手を見て、その時に応じてやるべきことを考えていく力が自分の強み。秋田商では商業科の先生だったのですが、話すことやグループワークが得意だったんです。それを大学のサッカーで精査できて、伝える力と練る力が自分の武器になりました。 秋田商の頃は相手を見抜く力がまだまだ未熟で、当時は遠隔地で今のように試合をたくさんネットで見れずに情報もなかなか入ってこない。高校サッカーの流れも短期決戦で相手を研究するよりも、自分たちのサッカーを追求する時代だった。大学で自分の強みに少し気がついて、そこを磨こうと思ったのは大きかったですね。