第3波の急拡大は「国民のせい」か GoToにしがみついた政権の姿勢、「気の緩み」招く
新型コロナウイルスの感染が急拡大していることを受け、政府は21日の新型コロナ感染症対策本部で「Go To トラベル」事業の運用見直しを決めた。「遅すぎる」ことも、旅行需要の喚起を目的とした施策の変更を3連休の最中に発表したセンスのなさも、ここではあえて繰り返さない。だが、筆者が言いたいのはそれだけではない。菅政権が打ち出した経済対策が、事実上GoTo事業「ほぼ一択」であることに対する、深い失望である。GoTo事業とは「国民を健康被害の恐怖にさらしてまでも、そのポケットマネーに頼って経済活性化を図る」ことであり、つまりは「旅館や飲食店が助かるかどうかは国民の行動にかかっており、助からなくても政府の責任ではない」という「究極の『自助』政策」なのではないか。(ジャーナリスト=尾中香尚里) GoTo事業とは即ち「国民の移動を国が旗を振って誘導することによって、初めて成り立つ経済対策」である。そのことには少なくとも、二つの問題点があると思う。
一つは、すでに指摘されているように「国民の移動によって感染拡大の危険性を増やしてしまう」ことだ。菅政権は、現在の感染の急拡大が必ずしもGoTo事業だけによるものではないことを強調しているし、それは正しいのかもしれない。しかし、政府がGoTo事業、すなわち国民の移動を積極的に推奨すれば、キャンペーンを利用していない国民も、外出や会食を控える必要はない、と考えるのは無理からぬことだ。それが感染拡大に一定の影響を与えているとしたら「政権の姿勢が感染拡大を招いた」と言われても仕方がないだろう。 安倍政権の当時から、政府はこうした国民の行動をしばしば「気の緩み」などと表現して、あたかも感染拡大を「国民のせい」と言わんばかりの発言を繰り返してきた。しかし、そもそも「気の緩み」を積極的に作り出してきたのは政権自身の姿勢だという自覚が、あまりにも足りない。 もう一つは「そもそも国民が移動しなければ、経済対策自体が成り立たない」ことである。GoTo事業は「経済対策か感染拡大防止か」という観点で論じられることが多いが、そもそも「経済対策として適切なのか」という指摘が不足しているように思う。