東映ヤクザ映画の殺され役たちの「悲哀」と「底知れぬパワー」…日本映画史に残る「伝説のレコード」
殴り込みシーンの撮影は中津川と同じ
この作品で三上はいきなり大役を任される。料亭に殴り込んで室田日出男が演じる組の幹部を襲い、血まみれになって包丁で刺し違えるシーンだ。観た人ならわかるだろう。走る三上の背中を手持ちカメラで激しく追いかけるという、作品の大きな見せ場のひとつだった。 三上:あれは夜の祇園で撮ったんですわ。それまでは監督の言うことを「わかりました」と言ってその通りにやっていたんだけど、まだ何をどうやれば芝居になるのか、まったくわかっていなかったですよ。しかも、あの日のロケは(菅原)文太さんも一緒で、あの狭い路地に相当な人数の野次馬が集まったんです。私はその時、「あぁ、これは中津川と同じだな……」と思いました。 「中津川」とは1971年に開催された大規模音楽イベント「第3回中津川フォークジャンボリー」のこと。「いくぞ!!!」という掛け声とともにメインステージに立った三上は、2万人とも言われる観衆の前で代表曲の「夢は夜ひらく」などを熱唱し、当時無名だった歌手は一夜にして新世代のスターとなった。 三上:「そうだ。中津川で歌ったように、あのまんまでやればいいんだ」と。そうは言っても素人の演技ですから、深作さんは撮り直しの用意はしていたみたいですけど、これが1発でOKになった。それからずいぶん経ってから室田さんのお葬式で深作さんとお会いした時、「あんな場面は普通、1回じゃできないぞ。お前、もしかして(殴り込みを)やったことあったのか?」と冗談をおっしゃってましたね。 ボクサーの役で初めて中島組の撮影に参加した『実録外伝 大阪電撃作戦』(1976年1月)の序盤のシーンでは、中島から「今度来る三上ってヤツは、新宿で一番ケンカが強いらしいぞ」と吹き込まれた試合相手役の松本泰郎がエキサイトしてしまい、半ば本気の殴り合いになってしまったこと。『沖縄やくざ戦争』(1976年9月)では土に埋められてしまうシーンでスコップが顔に当たってしまい出血。志賀勝に「三上ちゃん、その傷イイねぇ!」と褒められ、「よかねぇよ! 本当にケガしてんだよ!」と返したこと。三上は撮影所でピラニア軍団と過ごした想い出を、「私もね、すっかりピラニアイズムに染まっていたんですよ」と笑いながら、良いことも悪いことも楽しげに語ってくれた。 三上:撮影所の裏に「東映寮」という宿舎があって、東京から来た人はみんなそこで暮らすんです。隣の部屋が室田さんで、その隣が稔侍さん。近所のラーメン屋でタンメンを食べたり、撮影のない時間はいつも一緒にいましたから、ピラニアの人たちとはあっという間に仲良くなっちゃいましたよ。あれは撮影所に活気があった最後の残り火というんですかね。そういう時代の盛り上がりを見せていただいたっていうことでね、それはとてもありがたかったです。