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志尊淳「17歳で突然の家出 。自ら退路を断って今がある」

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婦人公論.jp

戦隊ヒーローからNHKの朝ドラまで、幅広い役柄に挑戦し続けている俳優・志尊淳さん。映画にドラマに引っ張りだこの25歳のこれまでと、これからは(撮影=小林ばく 構成=大西展子) 【写真多数】キュートな笑顔のショットも! * * * * * * * ◆末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた デビューして今年の7月で9年、養成所に入所した時から数えると10年になります。中学時代までは野球に夢中で、芸能界なんて考えたこともありませんでした。それが中学3年の終わりくらいに、原宿や渋谷を歩いていると芸能事務所からのスカウトを1回、2回と受けるようになって。それでもまだ選択肢としては考えられなかったのですが、いただく名刺が10枚、20枚と増えていくなかで、「もしかして可能性があるのかな?」と思うようになったんです。 ただ当時は、「芸能界は怖い」というイメージしかなくて(笑)、どんなところか知るために、習い事感覚で養成所に入りました。ところが、僕は何かを始めるととことん探求したくなってしまう性格で。まずは養成所の発表会で一番を目指しました。一番になれたら、「オーディション受けてきて」と言われ、合格したのがミュージカル『テニスの王子様』(以下、『テニミュ』)。15~16歳の頃です。 受かったものの、当然ながら右も左もわかりません。稽古場では、周りは役者として経験を積んだ人たちばかりで差は歴然。死に物狂いで頑張りましたけど、毎日が試練で、芝居が楽しいと思えるまでには本当に時間がかかりました。 当時は朝、スーパーでレジのバイトをしてから高校に行き、授業が終わるとすぐに稽古場に通う毎日でした。夜、帰宅して学校の宿題をした後は、家の前の路地で、イヤフォンで音楽を聴きながらダンスの練習。『テニミュ』はラケットを振り回すシーンが多くて、室内では練習できなかったんですよね。(笑)

僕、17歳の時に家出をして、2年ほど一人で生活したんです。『テニミュ』への出演が発表されると、兄や姉は「“志尊”って、あなたの弟?」と聞かれたりしていたそうで、ストレスもあったと思います。けんかになることが増えてしまって……。 それで自立しなきゃと、自ら退路を断ったんです。住民票も移して、1年間は家族との連絡を一切絶ちました。末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた僕が勝手にいなくなり、シングルマザーだった母はすごく悲しんだみたいです。今は、「淳が突然いなくなったことで子離れができた」と言っていますけど。 あの時の自分の心情を正直に言うと、心配もされたかったんですよね。気づいてほしかった。芸能界で揉まれて悩んで苦しんでいることを家族にうまく伝えられなくて、亀裂が生まれて、こうせざるをえなかったことに。1年経って家族に再会した時は、兄からは殴られ、姉からは「二度と帰ってくるな!」と怒られ、母と祖母は大号泣。それを見て苦しくてしかたがなかったけど、自分で決めたことだし、やらなきゃと。 今はこの経験があってよかったと心から思っています。2年間、バイトをしながら学費や生活費を工面したことで家族の偉大さもわかりましたし、自分も成長できましたから。 「志尊」という珍しい名字だったからこそ頑張れたというのはありますね。だって、「志」が「尊い」んですよ。そんな名字を持つ人間がいい加減に生きていたら、だめですもん(笑)。この性格、意外ですか? 見た目のせいなのか誤解されがちですが、子供の頃から頑固で妥協しないし、すごく理屈っぽいんですよ。(笑) ◆泣きながら「あなたになりたい」 転機になったのは、18歳で『烈車戦隊トッキュウジャー』の主役に抜擢されたことです。主演という重圧も感じましたけど、何より映像の影響力の大きさを実感しました。会ったこともない人から街で声をかけられたり、「うちの息子があなたになりたいと泣きながら訴えるんです」と言われたことも。 そんなふうに思ってもらえるなんて、素敵な仕事だなと思います。でも、今の段階では正直、この道しかないとは思っていないです。今はただ、作品を通じてさまざまな経験をし、いろいろな人と出会いたいという気持ちが強いですね。

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