文学、お笑い、映画が描く女性の連帯。『あのこは貴族』山内マリコとAマッソ加納愛子が語る、シスターフッドの“いま”
いま、映画が描く女性たちの絆は、かつてないほどの力に満ちている。2020年に日本で公開された映画を辿っていくだけでも、いかにジャンルや国を横断した女性同士の連帯、つまり“シスターフッド”が活況を呈しているかが窺える。例えば、女性同士のラブロマンスを描く『燃ゆる女の肖像』(19)には、階級の異なる3人の女性たちによるシスターフッドを見いだすことができる。『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(20)では、女性たちがチームを結成し、敵の男たちを痛快になぎ倒していく。『パピチャ 未来へのランウェイ』(19)では、アルジェリアにおける女性弾圧の苛烈な時代に、ファッションショーを開催しようと試みる夢を諦めない女性たちの姿が逞しく映される。シスターフッドの原点とも言われる歴史的古典を現代版にアップデートしてみせた『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(19)では、愛に溢れた自律的な四人姉妹の人生をそれぞれ鮮やかに祝福している。また日本では、主人公の女性が、兄の浮気相手の女性と奇妙な共犯関係となる『おろかもの』が、異質なシスターフッドを描いていた。 【写真を見る】その関係性はまさにシスターフッド!頬を寄せ合う、「フルハウス」のキミーとD.J. 2月26日より公開中の映画『あのこは貴族』の原作者である山内マリコと、自身初の著書となったエッセイ本『イルカも泳ぐわい。』が話題のお笑いコンビ、Aマッソの加納愛子に、現代におけるシスターフッドについて対談してもらった。はっきりと自身をフェミニストだと名乗る山内と、一人のお笑い芸人として、あくまでもおもしろさを追求し続ける加納。『あのこは貴族』を起点に、昨今のシスターフッド作品、さらには小説業界、お笑い業界におけるシスターフッドにまで話題は広がった。異なる領域に身を置きながらも“創作”や“書くこと”でつながる2人が紡いでいく言葉からは、未来のシスターフッドを希求するうえでの大切なヒントが溢れている。 『あのこは貴族』は、門脇麦演じる上流階級に生まれた“箱入り娘”の華子と、水原希子演じる地方からの“上京組”、美紀という東京の異なる階層に生きる2人の女性を描いている。原作は『アズミ・ハルコは行方不明』(16) 、『ここは退屈迎えに来て』(18)と、次々に作品が映画化されている山内マリコによる同名小説。これまでも女性同士の友情を様々に変奏させながら描いてきた山内が、「あのこは貴族」でもまた、東京というあまりにも多様で複雑な階層性を抱え込んだ場所における女と女の在り方を、一閃の煌めきのごとく提示してくれる。決して女性たちのあわいに横たわる差異を幻想的に無効化せず、女性の属性それのみですべてを理解しあえるとは言わない。例えば、本作のなかで、華子が道路の向こう側にいる女の子たちに手を振ったその仕草のように、一本の境界線が隔てていたとしても、それでも女と女は互いに手を振り合い、エンパワーメントしあえる。そこに『あのこは貴族』が描く、“いま、ここ”の温度を感じるシスターフッドがあるのだ。 ■「どんなところに生まれても、最低の日もあれば最高の日もあるというところが良かった」 (加納) ――映画『あのこは貴族』をご覧になって加納さんはどう感じられましたか? Aマッソ 加納愛子(以下、加納)「原作小説を先に読んでいたのですが、映画には華子が美紀の部屋を訪れるシーンが追加されていますよね。“部屋を見る”というところが、とても好きだなと思いました」 山内マリコ(以下、山内)「岨手由貴子監督もおっしゃっていたと思いますが、 美紀が自分の力で獲得したものしかないのを見た華子が、『とても落ち着く』と言うシーン、私もすごく好きです。岨手(由貴子)監督に聞いたのですが、あのシーンは、『17歳の肖像』を下敷きにしているそうです。年上の男性、デイヴィッドと恋愛をして、もう自分は大人だと思い込んでいた主人公のジェニーが、実はただリッチな男に見初められて、下駄を履かせてもらっていたのだと思い知る。傷ついたジェニーが、自分を気にかけてくれていた女性教師の住む部屋を訪れるんです。そこには先生が自力で積み重ねてきたものだけがある。自立ってつまりこういうことなんだと気づく名シーンです」 加納「『あのこは貴族』では、貧富の階層差も描かれていますが、芸人なんてみんな泥水をすするほどの貧乏生活を知っているので、美紀みたいな部屋でも全然マシだなとうっすら思いました(笑)。でも、美紀が華子に、どんなところに生まれても最低の日もあれば最高の日もあるから、その日あったことを話せる人がいるだけで十分と言うところが良かったです」 ――では加納さんは、華子と美紀でいうとやはり美紀側でしょうか? 加納「私自身はおそらく美紀寄りですが、華子側からもいろいろと考えました。実は華子について描かれる一章が好きで、特に家族で豪華な食事を食べながら会話するシーンはもっと見ていたかったですね。食べている合間に近況をそれぞれ言い合うのがおもしろくて(笑)」 山内「小説を書くにあたって、お金持ちの方たちに取材したのですが、会話の端々に美味しいもの情報が挟み込まれて、グルーミング的に情報交換されるんです。芸人さんも、売れた方はそういった話をするイメージがあります(笑)」 加納「以前、『芸歴10年以上の女芸人は美容のことしか話さない』とライブで言ってしまって、叩かれたことがあります。『売れたら、もうお笑いの話せえへんのかい』という文脈だったんですけど…。お金を持っていたら、いろんな景色が見えているはずなのに、目の前のことしか話さなくなるんですよね。多くのことを吸収しているはずなのにアウトプットすることがないから、ご飯の話しかしなくなってしまうという本作での描写がうまいなと思いました」 ――『あのこは貴族』の華子も、感情を大きく外に出すことはしないですよね。 加納「令嬢って爆笑しないイメージありますもんね。だから華子はなにで笑うのかなと考えてしまいました。華子を笑わせてやりたいです」 ■「華子と美紀は表面的にベタベタするのではなく、もっと心のコアな部分で共鳴できる関係」(山内) 山内「華子のような人を取材してみると、テリトリーや交友関係が狭いことに気づきました。東京に代々住むお金持ちといってもいろんなタイプがいるけれど、華子はとりわけ保守的な、内気なお嬢様として描いています。小学校から大学まで同じ顔ぶれの友達と過ごし、限られたエリアにしか行かない。それって、生態的には田舎から出たことのない人と近いのかもしれないと思いました」 加納「華子も自分に対して、田舎で生まれていたらそこから出ていなかっただろうと思っていますもんね。華子は上京組の美紀に相談していくなかで気づけることも多かったと思いますが、美紀のほうはそんな華子からなにを得たんでしょうか?」 山内「しいて言うなら、きっかけ、かなあ。華子と美紀という2人の女性は、表面的にベタベタするのではなく、出会ったことでお互いに気づきを得て、男にこだわって縛られるのではなく、それぞれにとっての幸せに舵を切れるようになります。三角関係のドロドロに巻き込まれて修羅化する女になるのではなく、自分にとっての幸せを追求できる人間になる。そのターニングポイントになる出会いとして描きました」 ――よく言われる「女の敵は女」という捉え方を反転させて、「女の味方は女」という誰のためでもない女性のためのシスターフッドを掲げているのが、『あのこは貴族』の魅力の一つですよね。 加納「華子と美紀が初めて対面するシーンは、作品のなかでも大事なところだと思います。美紀はその時華子に、“男が絡むと話が通じなくなる女”じゃないと思われたのがうれしかったんだと思うんですよね」 山内「加納さんのエッセイ『イルカも泳ぐわい。』にも、男性を介して女性2人が対面する似たようなエピソードがありますよね。高校時代、加納さんが彼氏の女友達に紹介された時、マウントの取り合いを避けて、反射的に“うひょひょ感”を出してピエロを演じてしまうっていう…(笑)。恋愛至上主義的な土俵で同性と争うのが苦手で、敵じゃないんで!敵にもならないんで!と走って逃げる代わりに、“うひょひょ感”を出していち早く土俵から降りる。あの気持ちは、かなり身に覚えがありますね。ああいう心の動きってなんなんだろうと掘り下げることが、三角関係で女同士がドロドロしない展開は可能なのか?という、この話のテーマにもつながってる気がします」 ■「『アナ雪』は、“姉妹愛”こそが本当の愛だったんだというストーリーが斬新でしたよね」(山内) ――山内さんは“シスターフッド映画”について、どうお考えですか? 山内「ざっくり言うと、女同士の絆を描いた作品になるかと思うのですが、人それぞれ、これもシスターフッド!と感じる幅がありますよね。シスターフッド的な作品は90年代にもぽつぽつあったけど、ジャンルとして括れるほどの数はなかった。それが、2010年代に入ってどんどん、ビッグバジェットのシスターフッド映画が作られるようになりました。2011年に『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』がヒットして、同じ年に韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』もあって、2013年に『アナと雪の女王』、2015年に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と、いい流れができた」 加納「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、私も観ました!」 山内「シャーリーズ・セロンはあれで神になりましたよね!」 ――なかでも『アナと雪の女王』は画期的でしたね。 山内「それまでのディズニー映画は、お姫様が真実の愛を探すのが主題だったけど、真実の愛がなんなのかというと、王子様と結ばれることと決まっていました。それを、2009年に『プリンセスと魔法のキス』、2010年に『塔の上のラプンツェル』とちょっとずつ修正をかけていって、地ならしをしていたんですね。王子様との異性愛だけでなく、“姉妹愛”だって真実の、本当の愛なんだというメッセージは、女の子を限定的なロマンティック・ラブ・イデオロギーから解放してくれました。同じ文脈で私が推したいのは、『愛しのアクアマリン』という2006年の作品です」 ――どんな映画でしょうか? 山内「アメリカのティーン向け小説の映画化ですが、テーマ的には『アナと雪の女王』を先取りしているんです。親友同士の女子2人組が人魚姫と出会って、真実の愛を探す人魚姫を手助けするお話。真実の愛=人間の男との愛だとみんな思い込んで探していたけれど、実はこの3人の友情こそが真実の愛だった!というのが最後にわかる。当時かなり画期的だと思いました」 加納「シスターフッドにも、いくつか種類のようなものがあるのでしょうか。シスターフッド映画が増えることによって、方向性も分かれていたりするんですか?」 山内「『チャーリーズ・エンジェル』や『オーシャンズ8』、『天使にラブソングを』みたいに、女性がチームになってわちゃわちゃしてるだけで尊い、というのもあるし、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『お嬢さん』のように、自分たちを苦しめている巨悪の男を倒す系、婦人参政権運動を描いた『未来を花束にして』のような社会派、『プリティ・リーグ』や『ドリーム』などは、あまり知られてこなかった女性の活躍を教えてくれます。個人的には、『ワンダーウーマン』でガル・ガドットが重めの蹴りを入れるだけで泣ける(笑)」 ――確かにシスターフッド映画には、男性中心社会であることを意識しつつ“抑圧してくる男性を倒す、男性に抗う”という趣向のものと、男性をひとまず脇に置いて“女性だけでなにかを成し遂げる”という趣向のものがある気がします。 山内「2017年に“#MeToo運動”が起こり、有名な映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが業界から追放されて、映画界が刷新されて、これまでなら企画が通らなかったような映画が一気に作られるようになった印象があります。大物女優が組んで、権力者のセクハラを告発した『スキャンダル』はまさにその流れ。『82年生まれ、キム・ジヨン』もそう。『あのこは貴族』が映画化されたのも、こういう世界的な流れのおかげかもしれません」 ■「『フルハウス』のD.J.とキミーの腐れ縁感が好きです」(加納) ――加納さんはなにかシスターフッドで思いつく作品はありますか? 加納「映画じゃないんですけど、海外ドラマの『フルハウス』が好きです。なんだかんだ腐れ縁で付き合っているD.J.とキミーが好きなんです」 山内「D.J.とキミーの関係性は、まさにシスターフッドですよね!」 加納「あれだけで飯食えますね(笑)。友愛というか」 山内「そんな加納さんは、絶対にシスターフッド映画が好きだと思います。ほかの作品もオススメしていいですか? 加納「はい、してください(笑)」 山内「『ひばり・チエミの弥次喜多道中』という、チャキチャキの下町娘2人組が延々と悪ふざけしている映画があって、これが最高なんです!『傷ものにされた~チキショーお嫁に行けないんだったら男になってお伊勢参りしよう!』と、『東海道中膝栗毛』でお馴染みの弥次さん喜多さんの格好になった2人が歌い踊りながら旅をするというハチャメチャなミュージカル映画です」 加納「え、ミュージカルなんですか?」 山内「美空ひばりと江利チエミが主演なので!チエミの悪ノリにつられてどんどん弾けるひばり、最高です。本人たちは気づいていないかもしれないけど、スター2人に自由に演技をさせたらずっときゃっきゃしてて、それってもうシスターフッド映画だよ!という。ガールズパワーが結晶化していて、すごく元気が出ます」 ■「自ら進んで入っていた“女の子”という囲いから、自分を出してあげたら生きやすくなりました」(山内) ――山内さんの書かれてきた諸作品にも、一貫して“女の子”というテーマが出てきますよね。 山内「女の子であることは、すごく楽しいんです。でも、同時にめちゃくちゃ危うい立場でもある。“女の子”という囲いから出なきゃいけない日が来る。そして、今度は自分を“女”の囲いに入れようと、結婚しなきゃと焦ったり。私はアラサーのタイミングですごく自分を見失って、これってなんなんだろうと考えて、フェミニズムに開眼していきました。なので、人を囲いに押し込めようとするのはダメ、というメッセージを送ることには意識的で。囲いから出たら、すごく生きやすくなりました」 加納「いまちょうど私がそのくらいの年齢で潮目かなと思っているので、こうしてお話できてありがたいです」 山内「加納さんにはそういう囲いに捕まらないでほしい、自由でいてほしい!加納さんにもう一本おすすめしたいのが、『雲のように風のように』というアニメ作品。主人公の銀河は、ちょっと加納さんと重なる気がしました。“女の子”の固定概念を吹き飛ばしてくれる爽快な作品です」 ■「コント『進路指導』は日々感じていることとフィクションの境目を意識して作ったネタ」(加納) ――Aマッソの「進路相談」というコントですが、進路指導の先生が生徒の夢を女性だという理由だけで否定をするという内容は、女性差別を笑いに変えているようにも見えてとてもおもしろいです。それを女性同士のコンビでやるというのが、一種のシスターフッドだと思いました。 加納「実はあのネタ、単独ライブで一個くらいふざけたものもやってみようと作ったネタで…。あれをテレビでやってくださいとオファーがあった時は、『あれをテレビで!?そんなん背負われへんけど…』と思いました(笑)」 山内「シリアスに女性差別を考えて作ったコントではなかったということですか?」 加納「はい(笑)」 山内「私はあのネタを観て、『この人、ガチフェミじゃん!』と思いましたよ(笑)。ふざけようと思ってあのコントを書けるとはすごすぎる(笑)。フェミニズム的な理論が下敷きにあったうえで、あえて挑戦的に書いているものだとばかり思っていました」 加納「私はコントのなかにあまり本音を入れることはないのですが、思っていることそのままのテイストで一個ネタを作ってみようと思ったんです。普段作るネタはフィクションが多いので、『進路指導』は日々感じていることとフィクションの、どちらかわからないくらいの境目を意識して作りました」 ――加納さんはご自身のエッセイのなかで、「コントで迷うことがある。医者を演じることはつまり、女医を演じることになってしまう。そんな当たり前を、うまく咀嚼できない」と書かれていましたよね。 加納「普通に白衣を着て医者のコントをした時に、『あれは男役と女役どっちやったん?』と聞かれたことがあって、『どっちとかないんですけどね』と返しました。でも、『観にくいからどっちかにしたほうが良いよ』と言われて…。そういった表現一つとっても、観ている人に迷いを生じさせてしまうのかと思ったことがあります」 ――加納さんが男性芸人だったら、同じように役の性別について問われたかは疑問ですね。 山内「それで思いだしたのが、田嶋陽子さんがNHKの番組『課外授業 ようこそ先輩』でされていた子ども向けのフェミニズムのお話。子どもたちに“お医者さん”と言うと、みんな瞬間的に男の人で思い浮かべるんですね。職業的な先入観で。でも田嶋先生は、お医者さんを男性とも女性とも一言も言ってなくて、そこを入口にして、私たちがどれだけ性別でお互いを縛っているか説いていくんです」 ■「 “お笑い業界は男社会” ということでもないと思っています」(加納) ――世間的なイメージでは「お笑い業界は男社会」と言われていますが、加納さんご自身はどう感じていますか? 加納「自分たちの世代は、それほど“男社会”ということでもないと感じています。私は自分が作るネタのことを一番に考えているので、業界のことに関してはあまり考えたことがなかったかもしれません」 山内「外から見ていると、ホモソーシャルな人間関係の中で自分の居場所を作っていくわけだから、女性芸人であること自体が、戦いなのかと思っていたので意外です」 ――以前に比べて、お笑い業界も変化しているということなのでしょうか。 加納「そこは『女芸人No.1決定戦 THE W』など、女芸人だけの大会ができたのも大きいかもしれないですね。あとは、“男社会の中にいる女芸人”が“外”との戦いを見せることが商品化できると、作り手も気づき始めたのか、そういうキャスティングが最近増えたように感じます。私は、まずは自分たちの笑いをコンビで成立させることが第一なので、“外”との戦いよりも“内”の戦いに勝たないといけないと思っています」 山内「『THE W』を観ていると、個人的におもしろいと思った女性芸人の方は、なんらかの形でフェミニズム的なアプローチをしている気がしました。従来のジェンダー観のままの人と、そうでない人に分かれていて、こっちも古い女性観でこられると笑えないというか。Aマッソは特出して鋭いことをやっているけど、それ以上に、存在自体ウルっとくるものがあります。かつてクラスメイトだった友人同士の女性2人がお笑いをやっているというだけで、そこにシスターフッドを感じて、こっちは勝手にグッときてます」 加納「ありがとうございます(笑)」 ■「性別関係なくそれぞれが能力を発揮できるようなバランスを作っていくことが重要」(山内) ――お2人はシスターフッドを取り巻くいまの状況についてどう思いますか? 山内「女性たちの意識はすごく変わって、どんどんアップデートされています。だからこそ、大きくは変わらない世の中に苦しんでいる。最近、政治家の女性差別発言がありましたが、これを契機に、人数的なバランスを、意図的に作ってほしいと思います。数ってパワーだから、女性の席がここまで少ないと、それはいないも同然。女性を締めださず、仲間に入れて話を聞く姿勢ですよね。コンサルタントに女性の劇作家を入れた『マッドマックス 怒りのデスロード』を見習って!」 加納「自分の範囲内のことで言うと、男芸人にはおもしろいと思われたくて力を発揮するけど、女芸人の私たちにはウケようと思ってくれていない人がいるなと感じることがあるんです。こっちに向けてアンテナ張ってないなって…。お互いおもしろいと思われたいし、そういう関係性を築いていきたいですね。そこに男とか女とかはなくて、おもしろい人がいたら一緒にやっていこうよ、という環境にもっとなればいいなと思っています」 ■「次の作品では女性同士の友情をテーマにした連作短編小説を書こうと思っています」(山内) ――最後になりますが、『あのこは貴族』を経て、山内さんは今後どのような小説を書く予定ですか? 山内「次は、真正面から女同士の友情をテーマにしています。小説家として駆けだしだった2007年ごろ、編集者の方に『女同士の友情をテーマにしたい』と言ったら、鼻で笑われてしまって、実現しなかったんです。当時は『女性作家には恋愛ものを書いてもらいたい。そのほうが売れるから』という世の中で、恋愛は高尚、女の友情は一段下とみなされ、そういうのは少女小説で扱うテーマという感覚でした。そんなこともあって、デビュー作ではちょっと逃げてしまったんです。ようやく書ける土壌ができてきたので、今度はしっかり、女同士の友情をテーマに、自分が納得できるものを書こうと思っています」 加納「山内さんはそういうテーマを描くことを、背負っている感覚なんですか?」 山内「ただただ、それがツボなんだと思います。自分が感動できるのが、そういう物語だから。それを背負ってるとはまったく思っていなくて、新しいものを作りたいだけなんです」 加納「そうなんですね。文学だけがどんどん先にいってる感じがします。芸人ももっと頑張らないと。全然追いついてない」 山内「いやいや、加納さんのエッセイもすごくキレキレでしたよ!おもしろかったし、なによりかっこいい。あの文章には作家もみんな、すげえ!とビビってます(笑)」 ――別々の思想を持ちながら第一線でご活躍されるお2人が、こうしてシスターフッドを共通項に領域を超えてひとときお話される姿には、どこか『あのこは貴族』で描かれていたようなシスターフッド像とも重なりあうものを感じました。お2人とも、ありがとうございました。 取材・文/児玉美月