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タリバン元最高指導者、米軍基地のすぐそばに潜伏していた 蘭記者が新著

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The Guardian

米軍と2度のニアミス

 米軍は2度、オマル師を見つけかけた。最初は、オマル師とオマリ氏が中庭にいた時で、2人は米兵が近付いてくる足音を聞き、高く積み上げたまきの後ろに隠れたが、兵士は中庭に入ることなく通り過ぎた。2度目は米軍が家の中を捜索までしたが、隠し部屋に通じる入り口を見つけることはできなかった。  米軍が2004年、オマル師の隠れ家からほんの数百メートルしか離れていない場所に、ラグマン基地を造り始めると、オマル師は移動を決意し、カラートから南西に約20マイル(約32キロ)離れたシンケイ地区にある村に向かった。  オマル師が村に落ち着くとすぐ、米軍がわずか3マイル(約4.8キロ)離れた場所に基地を建て始めた。ウルバリン基地には全盛期で、米軍と米軍を支援する北大西洋条約機構(NATO)の駐留部隊の兵士1000人以上が駐屯した。  オマル師はほとんど外に出なかった。オマリ氏はダム氏に対し「外国軍とテーブル一台分しか離れていないこともあった」と話した。  村の全員が、タリバンの高官がこの地域に潜んでいると知っていた。市民がアフガニスタン政府の汚職に幻滅し、米軍の攻撃による民間人の犠牲者が増加すると、人々の間で失望が広がり、オマル師は村人から食べ物や服などをもらうようになった。  オマル師は何日もほとんど話さないこともあった。唯一の会話は守衛と料理人と、祈りの前に台所で一緒に洗い物をする時に交わされた。  非常にまれに、信頼されている使者が訪ねてきた。当初は、オマル師の声を録音したカセットテープを渡していたが、一度パキスタンの諜報機関から質問を受けたため、それ以降はメッセージを口頭でタリバン指導部に伝える形に変わった。  毎年イスラム教の祭日「犠牲祭(イード・アル・アドハ)」に、オマル師の名前で声明を出していたものの、オマル師は2001年に実権を譲ってからタリバンで積極的な活動はしていなかった。どちらかというと、精神的指導者の役割を果たしていたとみられる。  オマル師は2013年病に倒れたが、治療を受けることを拒否した。オマリ氏は医師を連れてくるか、パキスタンまで車で送ることを提案したが、オマル師は自らの運命を受け入れたようだった。4月23日に死亡し、その日の夜に遺体はザブール州の端の方の人里離れた地に埋葬された。  タリバンが、自分たちの戦闘員や世界に対し、オマル師が死んだと公表したのはそれから2年後のことだった。【翻訳編集】AFPBB News 「ガーディアン」とは:1821年創刊。デーリー・テレグラフ、タイムズなどと並ぶ英国を代表する高級朝刊紙。2014年ピュリツァー賞の公益部門金賞を受賞。

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