展示中止問題の後 「表現の不自由展」実行委が会見(全文2)報道の自由をも侵害
報道の自由の侵害ではないか
小倉:ありがとうございます。小倉利丸です。たぶん日本の皆さん、私の名前を知っている人は、私が左翼のクリティックだということは誰でも知っている話なので、それはそれとして、あまり時間がないので私からはもう3分ぐらいに絞ってお話をしますので、通訳の方に渡したメモをちょっとはしょりますので、すいません。 今日ここに参加されているジャーナリストの皆さんの中で、実際に「不自由展」を見た方っていうのはどれぐらいいらっしゃるでしょうか。別に手をあげなくてもいいです。問題の焦点となっている展覧会の展示を見ないで記事を書くということは、本来ジャーナリストであればやってはいけないことです。SNSだけではなくて、新聞などのマスメディアの報道や論評の中には、明らかに作品も展示も見ていないで書かれた文章というものが散見されます。 メディアも現在、展示室には入室できていません。これは明らかな報道の自由の侵害だと思います。報道へのアクセスの禁止は、そもそもトリエンナーレ側による展示室の公開中止の理由となんの関係もないことです。ちょっと飛ばしますが、トリエンナーレ側による報道管制は展示中も展示前も繰り返されました。トリエンナーレ側は開会後、プレスルームに文書を配布しました。カメラが展示室に入ることを禁止して、加えて観覧した人々へのインタビューまで禁止しました。こうしたメディア規制は、私たち実行委員会にはなんの事前の相談もなしに行われました。
歴史認識や天皇を巡って検閲にあった作品ばかり
展示をご覧になった方は分かると思いますが、展覧会場の正面にはSNSへの投稿禁止が掲げられました。この条件をのまなければ展示それ自体ができないというふうに言われた結果、やむなく受け入れた条件です。 最後に数センテンスだけ。「表現の自由展」の展示の作品の多くが、先ほどアライさんが言われたように、歴史認識や天皇を巡って検閲にあった作品ばかりです。この国が抱えている最も深刻な表現の自由を巡る課題が、これらの問題なので。トリエンナーレ側が報道の自由をも侵害するような措置を取っているのは、そもそもこうしたテーマをメディアが取り上げるということ自体を快く思っていないからだと思います。 「不自由展」の展示中止の問題は、同時に報道の自由への深刻な侵害を含んでいます。メディアを通じてすら展示の内容にアクセスができない、その環境が臆測や偏見を助長してしまいます。私は今回の検閲というのは、ターゲットが私たち実行委員会だけではなくて、報道の自由を尊重しようとしているメディア全体に及んでいる問題だというふうに考えています。どうもありがとうございました。