【私の“奇跡の一枚” 連載91】ファン目線の『THE IZUTSU』32年間96号で千秋楽
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。 ※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
1回限りのつもりが…
私が『井筒部屋ニュース』を思い立ったころ、いくつかの部屋新聞がありましたが、親方の寸評等の堅苦しいものがほとんど。もっとファン目線の新聞があってもいいのに、と感じていました。 親方(元関脇鶴ヶ嶺)が昭和47(1972)年4月年寄君ケ浜として一から始めた部屋が、42歳で亡くなったおかみさんの早過ぎる死を乗り越えながら、念願の井筒を襲名して15年、幕内関取衆も5人を擁する角界一の元気部屋になったこの時期(昭和62年)だからこそ、いっそうファンに親しまれるように部屋への後押しがしたい――。そんな想いを込めた新聞発行が私の一つの夢となっていました。 ただ、それも現実にはお金が懸かることです。その思いのたけを私が主人に相談すると、「これからの時代は、男と同じように女の人にも、道楽があっていい」と太っ腹の返事をもらったのです。 そこで、井筒親方の特別寄稿をいただいた井筒部屋ファンのためのフレンドリーペーパー“THE IZUTSU”(ザ井筒)創刊号が生まれたのでした。以来、1年間に3号(東京場所ごと)を基本として発行、ファンの皆さんにお届けすること32年間、回数も96号を数えました。記事も親方や力士、そしてファンの喜びから悲しみまで。最近では鶴竜関の優勝、横綱昇進という相撲界最大の名誉まで扱うことができたのですから、編集人冥利に尽きるというものです。 昭和から平成を丸々含み、令和となった今年5月場所まで九十数号……。あとわずかで100号、それまでは、とも考えましたが、寄る年波(83歳)、気力、体力に加え、集中力が伴わないことが増えたため、お相撲さんの引き際と同じく、さっと散らせていただくことにしたのです。 さて、紙面にはほとんど反映させなかったのですが、微力な私がここまでやってこれた原動力は、間違いなく私の無二の親友・節子さんにほかなりません。