老舗猫カフェが“老猫見守り場”に転身 あらためて問うペットの命の重さ
一方で、譲渡型保護猫カフェはどうだろうか。筆者がボランティアをする団体のシェルターに最近、2匹の成猫が引き取られてきた。元飼い主が一身上の都合により、どうしても飼えない状況に陥ったため、手放すことになったという。元飼い主はその2匹と保護猫カフェで出会い、里親になった。しかし、手放さなければならなくなった際、その保護猫カフェに相談をすると、一旦譲渡した以上、返却はできないといわれたため、引き取ってくれる団体を探したのだという。 保護猫カフェからすると、レンタル気分で猫の里親になり、都合が悪くなれば戻されるという事態を防ぎたかったのだろうと思われる。しかし、人生何が起こるかは誰にもわからない。万が一、引き取ってくれる団体や個人がいなければ、飼い主が保健所に連れて行ったり(お金を払えば飼い猫でも保健所が引き取ることもある)、捨てたりする可能性を保護猫カフェは考えないのだろうか。譲渡してしまえば後は知らない、とでもいうのだろうか。それで「保護」の名を冠しているとは、いかがなものか。
これはあくまで一例だが、里親がいつまでも見つからない猫だっているかもしれない中、責任をどれほど感じているのか。 こうした事例を目の当たりにし、猫カフェやそれに準ずる店が、命を預かることの重みをどれくらい感じているのか、考えさせられる。そんな中で見た「ねんねこ家」の一風変わった決断に、一猫好きとして感じ入るものがあるのである。 (取材・文・写真:平松温子)