「私たちがきれいにします」五感を駆使する新幹線”ドレッサー”の技
東海道新幹線が終点の駅に到着し、折り返して次の目的地に向けて出発するまでに行われることがある。車内の清掃である。その間、わずか10分。この短い時間に座席を転換し、背もたれカバーの汚れを見つけ、車内のゴミを捨て、トイレや洗面所もきれいにする。 【画像】「私たちがきれいにします」五感を駆使する新幹線”ドレッサー”の技 だが、それだけではない。折り返し運行せず、車両基地に回送される列車はさらに入念な清掃が行われる。東京・品川区にある大井車両基地。ここに運ばれた列車は車内だけでなく、車両の先頭部分をはじめ、駅の折り返し時間内では行き届かない場所を隅々まで磨き上げている。 この清掃業務を担うのがJR東海のグループ会社「新幹線メンテナンス東海」である。同社では、車両の清掃業務を「整備」・「ドレスアップ」、清掃業務に従事するスタッフを「ドレッサー」と呼ぶ。 なぜか。その理由について同社企画部総務課係長の馬場このみさんが説明する。 「結婚式に臨む花嫁をイメージしてください。参列者が注目する花嫁の美しさは、着付けや身繕いをするドレッサーにかかっています。その花嫁を新幹線に置き換えれば、移動するための車両から快適な空間へとドレスアップする仕事がドレッサーなのです」 スタッフがこの仕事の価値を再認識し、誇りを持って働いてもらいたいという考えから、業務やスタッフの呼び方を変えたのだという。
与えられた時間は40分〝ドレスアップ〟はこう行う
大井車両基地を訪れ、新幹線車内の〝ドレスアップ〟の様子を取材した。 カーブした天井と荷物棚を同時に拭くために曲がったモップ、濡れている場所を検知できるセンサー付きほうきなど、スタッフの声をもとにつくられたアイデアグッズを手に、スタッフたちがきびきびと整備している。それ以外にも車内ゴミの回収、床面拭き、窓ガラス拭き、テーブル拭き、背もたれカバーの交換など、業務は多岐にわたる。一連の業務が終わった後は、やり残したことがないかを「後点検」し、さらにチーフとともに再度点検する。与えられた時間はおよそ40分。終了時刻は決まっているため、スピード感が問われる仕事である。 チーフの佐久間紀子さん(51歳)は勤務歴15年のうち10年間、車内整備を担当してきたベテランだ。その佐久間さんにも新人の頃、「すごいな」と感じた先輩がいた。自分の業務が終わり、後点検をしているとき、ふと振り向くと、先輩が車両の後方に立っていた。 「ちょっと来て。これ見て」 佐久間さんが先輩の立つ場所に行き、よく見ると、座席の肘掛けの隙間に菓子パンと思われるビニール袋が隠れていた。 「こういうところもしっかり見ないとダメよ」 自分が座った座席が汚れていたら、旅の高揚感は吹き飛ぶ。「抜かりはないか、常に気を引き締めています」と佐久間さんは話す。 そうは言っても、40分という限られた時間内に完璧に整備することは可能なのか。 佐久間さんにはこんな経験がある。グリーン車の整備中、座席からかすかにコーヒーの匂いがした。座面にこぼれたのかと思いセンサーを当ててみたが反応しない。おかしいと思い、よく点検したら膝裏の面にコーヒーの筋が1本。座席が乾いていたのでセンサーが反応しなかったのだ。すぐに座席を交換したため大事には至らなかった。 「コーヒー、ジュース、醤油。匂いには必ず原因があるのです」 センサー頼みではなく、人間の五感で異変の有無を検知するのが匠の技である。 お盆や年末年始など、大型連休の最終日は小さな子供がいる家族連れが多くなり、床にはお菓子のかけらがこぼれていて、窓には子供たちの手で触った跡がたくさんついている。そんな車両の整備はいつも以上に力が入る。 「それから修学旅行列車ね」 背もたれは乱れ、ゴミの量も多くなり、荷物棚にペットボトルが落ちていることもある。化粧品のラメも難敵で、これがこぼれると取り除くのにひと苦労。 「取っても取ってもまた出てくるので、シート交換しかない。ラメは強敵です」 ただ、そう話す佐久間さんの顔には笑みが浮かんでいる。「たくさん汚れているのは、お客さまが新幹線の移動を楽しんでくれた証しだから」。 佐久間さんが1日の仕事を終えて帰路につく途中、通勤用のバスの中からふと外を見ると、車両基地を出発して東京駅に向かう新幹線が見える。自分が整備した列車がお客さまを乗せる。 「新幹線での移動を存分に楽しんでください。私たちがきれいにしますので」