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創造の情熱を燃やすクリエイター、山本寛斎が『VOGUE』に語ったこと。

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VOGUE JAPAN

日本人として初めてロンドンでコレクションを発表して以来、数々の壮大なショーやプロジェクトを発表・プロデュースし続けてきたファッションデザイナーの山本寛斎が、7月21日に亡くなった。『VOGUE JAPAN』2013年4月号では、多くのデザイナーたちにも刺激を与えてきた彼に本誌編集長の渡辺三津子がインタビューを行った。日本の美をテーマとする彼の原点や、ステージ衣装を担当したデヴィッド・ボウイとの出会いについて語ったアーカイブ記事を公開する。

渡辺三津子(以下 W)今年はロンドンのヴィクリア&アルバート美術館でデヴィッド・ボウイの展覧会が行われますね。70年代に寛斎さんがデヴィッド・ボウイのステージ衣装を手がけて、世界的にカリスマ的な存在感を示したことが今、再注目されています。 山本寛斎(以下 K)ロンドンで、美術館のキュレイターの方と話してみると、イギリス人が持つ彼への思いは他の国の人とはまた違った特別なものだと実感しました。ボウイ氏はイギリス人にとってはまさにヒーローなんですね。今年は新曲も出ましたし、また(その人気が)再燃しつつあるのではないかと思いました。 W:その頃のクリエイションを今ご覧になってあらためて感じることもあるのではないでしょうか。 K:先日、40年ぶりに訪れたイギリスで、BBCのインタビューを受けました。そのときはとっさのことで「西の人と東の人の出会い」というような簡単な表現をしてしまいましたが、実はその話にはもう少し先がありました。お互いに出会ったことで恋に落ちた、というような感じですね。彼と私とは、激しい化学反応を持つことができたと思っています。 W:衣装デザインの依頼があったのは、ボウイさんのほうからですよね? はじめてお会いになったときの印象は?

K:当時の彼は、ロンドンからアメリカ、とまさに世界のマーケットに出ようという時期でした。ボウイ氏のことをとても好きでいらしたスタイリストの高橋靖子さんから、ニューヨークに来るべきだという電話を夜中に4回くらい受けまして。それで当時、ニューヨーク中のおしゃれな人たちが集うことで知られたラジオシティ・ミュージックホールへ、彼のアメリカでの初のコンサートを見に行きました。ボウイ氏が天井から降りてきてステージに立って、黒子たちが男女7~8名で彼を囲って、いきなり歌舞伎の「引き抜き」という手法にヒントを得たやり方で、黒の衣装を引き抜いた瞬間、違う色柄の衣装が飛び出てきた。そこで一斉に会場のお客さんが総立ちになって。私は感動するとすぐ泣いてしまう質ですが、とても感激しました。第一には彼の歌、そして二番目に彼のビジュアルに観客は惹かれたと思うのですが、そこでのスタンディングオベーションが私たちの活動に対して向けられたような気がしました。 W:それでは、最初のコンサートの衣装は彼に会わずに作られたんですね。実際にお会いになった後に作られた2回目の衣装も含め、ボウイさんとのやりとりの中で、このようにして欲しいなどの要求はあったのでしょうか? K:もちろん鏡の前でのフィッティング等はありましたが、彼からの具体的な希望はほとんどありませんでした。彼のユニークなメイクは川邊サチコさんが担当していて、どちらかといえば日本の我々が世界に出発した彼を作ってしまったという感じですね。デヴィッド・ボウイが一体何を変えたのかというと、それはやはり、性を超越したビジュアル。そしてそれが音楽に重なって出てきたということこそが彼の(世の中への)貢献だと思います。

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