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アメリカは長崎に2つ目の原爆を落とす必要があったのか?

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ニューズウィーク日本版

<広島に続き長崎にも原爆を投下したことで、戦争の終結が早まり多くの命が救われたと主張する肯定論の背景にあるもの>

8月9日、長崎は原爆投下から75年の節目を迎えた。長崎への原爆投下は、第2次世界大戦の終盤における重大な出来事の1つで、広島に続く歴史上2度目の核攻撃だった。 1945年8月9日に長崎に投下された原爆「ファットマン」は、その年のうちに7万人以上の死者を出し、その多くは原爆投下から24時間以内に命を落とした。原爆により長崎市浦上地区は完全に破壊され、後に残ったのは一握りの建物だけだった。 広島と長崎への原爆投下で死亡した人の数は、その年だけで21万人以上にのぼる。その大半が民間人だ。当時、各所で連合軍を相手にあらゆる手段を尽くして戦っていた日本軍を打ち負かすには、原爆を投下するしかないと言われていた。 もう1つの選択肢が日本本土への全面的な侵攻と考えられていたが、米軍の作戦立案者たちは、本土上陸に踏み切れば米軍だけで最大100万人、他の連合国の兵士や日本の兵士および民間人を合わせればさらに多くの犠牲が出ることになると考えた。 戦争の終結で、戦闘が続いていたアジア各地の人々の命も救われた。日本軍は中国や東南アジアで、連合軍や地元勢力と戦いを続けていた。原爆擁護派は、原爆投下により多くの命が救われたと主張した。 原爆投下は戦争犯罪にあたるという議論がされながらも、いまだにこれがアメリカなどでは主流な考え方だ。日本は8月15日に降伏し、長崎への原爆投下から3週間後に降伏文書に調印。これで、10年近くに及び約7300万人の命を奪った第2次世界大戦が終わった。 <日本降伏の決め手はソ連の対日参戦> 少なくとも西側諸国において、第2次大戦終結の歴史の中核をなすのが原爆の恐怖だ。しかしソ連が日本に宣戦布告を行ったのは、長崎に原爆が投下される数時間前の1945年8月8日の深夜だった。 日本にとって「とどめの一撃」となったのは、2度の原爆投下よりもむしろソ連による対日参戦だったと、アメリカ在住の歴史家(ロシア・ソ連史および日露関係が専門)である長谷川毅は指摘する。 長谷川によれば、日本の上層部は戦争の終盤、広島への原爆投下により何万人もの死者が出た後も、ソ連にアメリカとの和平交渉の仲介を求めていた。 「広島に原爆が投下されても、仲介を模索する日本の方針は変わらなかった」と長谷川は本誌に語った。「その意味で、原爆は決め手にはならなかった。ソ連の対日参戦の方が、より大きな決め手になったと考える」 長谷川はさらに、「日本政府にとって、戦争を終わらせる最後の希望がソ連だった」と続けた。「その希望が完全に打ち砕かれた」。ソ連が参戦していなければ「日本政府は、ソ連に仲介を求め続けていただろう」と語った。

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