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準備ができる時間がもらえてよかったなあ! 小出さん一周忌

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中日スポーツ

 「あれから1年。まさか、東京オリンピックが延期になることなど想像していませんでした。小出監督なら、高橋君もまた1年、準備ができる時間がもらえてよかったなあ!と言ってくれるような気がします」。LINEで、日本郵政の陸上部監督、高橋昌彦さんから届いた一節である。  その日、4月24日は、昨年80歳で亡くなった陸上界の名伯楽、小出義雄さんの1周忌だった。高橋監督は、2000年シドニー五輪のマラソンで高橋尚子さんが金メダル、翌年のベルリンマラソンで世界新記録(当時)を樹立したとき、小出さんのスタッフの1人だった。さらに言えば、その前の97年、アテネの世界選手権で鈴木博美さんが金メダルに輝いたときも小出さんをサポートしていた。つまり、師弟の関係だった。  小出さんは常々話していた。「マラソンは、スタートラインにたった時点で9割、勝負は決まっているんだよ」。つまり、その日までの準備で勝負が決すると話していた。だから「僕は、スタートラインに立たせるまで石橋をたたいても渡らない」というのが主義だった。高橋監督は、Qちゃんと鈴木博美さんの金メダル、Qちゃんの世界新記録前夜の小出さんの“やり方”を最も知る中の1人である。LINEにある「また1年、準備ができる時間がもらえてよかったなあ!」という言い回しに、“準備”がすべてと教わった高橋監督の思いが込められているのだと思う。  小出さんとの付き合いは30年以上に及んだ。小出さんが元気だったころは、よく飲み、よく語り合った。それも、小出さんが亡くなる1カ月と少し前に会ったのが最後となった。その日は、千葉県佐倉市の、小出さんが代表を務めた佐倉アスリート倶楽部(当時)で十分に話し込んだはずだった。だが、飲んべえの私が、必ず京成佐倉駅前の居酒屋に立ち寄り、一杯やるのを知っていた小出さんは、あまり十分ではなかった体調を押して、後から追い掛けてきた。私に酒を勧め、自らはお茶をすすりながら「もう一度、オリンピックでメダルを獲らせたいなあ。できるかなあ」と、何度も繰り返した。  東京オリンピックのマラソン代表に決まったのは、教え子の教え子、鈴木亜由子だった。鈴木は「メダルを目指します」と言い、高橋監督も「メダルを狙わせます」と話す。小出DNAの継承が僕はうれしい。だが、新型コロナウイルスの勢いは衰えず、延期になった東京オリンピックの先行きには、またぞろ暗雲が漂っている。  「何が起きても、その時はその時だ」。どこまでも前向きだった小出さんの声が聞こえてきそうだ。「準備ができる時間がもらえてよかったなあ!」 (スポーツジャーナリスト・満薗文博)

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