日本ハム2位・藤田琉生 実業団バレー選手だった両親のDNA…母は全国屈指ママさんチームで現役キャプテン【ドラフト選手の“家庭の事情”】
【24年ドラフト選手の“家庭の事情”】#11 藤田琉生 (日本ハム2位・東海大相模・18歳・投手) 【写真】大社(島根) 石飛文太監督の本音と建前「...高校野球って綺麗な事ばかりじゃないですよね?」 ◇ ◇ ◇ 身長198センチの恵まれた体格は、両親譲りだ。 父の佳典さん(45)は藤田と同じ左利きで185センチ。中学でバレーボールを始め、高校を経て実業団の日本精工に入社。6人制と9人制でともに全国大会優勝を達成した。 プレーヤーを引退した今は、製造業のライン業務に携わっているという。 母の賢枝さん(43)も身長182センチで、バレーボールの選手として活躍。土浦日大高から、実業団の強豪「NECレッドロケッツ」に2年半在籍し、結婚と出産を機に退部。16年前からママさんバレーチーム「羽鳥」でプレーを続ける“現役”だ。 パート勤務を終えた後の火曜と木曜の夜に活動。ママさんバレーの頂点を決める「やまゆり杯」では2015年から17年まで3連覇を達成。5年前にはキャプテンに就任し、今年は準優勝した。 と、ここまで聞けば、2人の息子にバレーボールをやらせるのが自然の流れと思いきや……。 「ご両親とは『よくバレーをやらせなかったね』という話をよくしました。『お兄ちゃんも含めて、バレーをやっていたら日本代表になっていたかもしれないね』と」 こう話すのは、藤田が小学1年から在籍した「羽鳥ファイターズ」の中村頼彦監督(59)だ。 兄の瑞生さん(22)が小学2年のとき、「羽鳥ファイターズ」で野球を始めた。 幼稚園児だった藤田は、その練習についていくのが日課に。 瑞生さんも195センチの長身で、現在は松蔭大の4年。弟と同じ左腕投手で、来春からは社会人チームの「千曲川硬式野球クラブ」(長野)でプレーするという。 両親ともに、息子2人にバレーボールを“やらせた”ことはなかったという。賢枝さんの話。
自宅駐車場に工業用の照明を設置、練習場に
「最初は私のママさんバレーにくっついてきましたけど、バレーボールに触ることもなく遊んでいました。バレーだと私がうるさくなっちゃうので、同じ競技はダメだなというのもあります(笑)。琉生は小さい頃は引っ込み思案で、いつも私の後ろに隠れていました。それがいつの間にか身長を抜かされ、投手という特殊なポジションをやらせていただくようになってから、前に出られるようになりましたね」 佳典さんも言う。 「本人たちにはやりたいことをやってほしかった。近くに野球をやっているお兄ちゃんたちがいて、自然とそっちに流れていきました。カミさんの弟が茨城の『茎崎ファイターズ』という強豪の学童軟式野球チームで野球をやり、ママさんバレーに参加するお母さん方のお子さんが、野球をやっていたのも影響したのかなと思います」 佳典さんは一軒家の自宅駐車場に練習場を作った。市販の折り畳み式バッティングネットを購入。土日に午前中の練習が終わると、藤田は同級生と一緒に駐車場で練習した。 「2メートル四方ほどのネットにティーの器具を置いて、来た子たちは1回20球ずつくらい打っていました。だいたい13時から16時で、夏なら17時半くらいまで。工業用の照明を買って、夕方に薄暗くなっても練習できるようにしました。長いと集中力も続かないので、みっちりではなく遊びも入れつつです。午前中にいっぱい投げていたら、午後は投げさせずバッティングをメインにしたり。ケガのリスクになることはさせないようにと、気を配りました」(佳典さん) 自宅では野球の話をほとんどしなかったという。野球が嫌いにならないように、という両親の配慮だった。バレー選手のDNAが掛け合わさった大型左腕。夢は膨らむ。 ▽藤田琉生(ふじた・りゅうせい) 2006年11月17日、神奈川県藤沢市出身。羽鳥小学校1年のとき「羽鳥ファイターズ」で野球を始める。羽鳥中では「湘南クラブボーイス」(硬式)に所属。東海大相模では2年夏に左肘を疲労骨折するも、3年夏、甲子園に出場してベスト8。U18日本代表。左投げ左打ち。198センチ、96キロ。