全盲ながら子供3人を育てた両親 毎日の苦難と工夫、温かかった周囲のサポート
大きなダイニングセットが置かれたリビングに整頓されたキッチン。火災防止のためIHコンロであることと、全てのドアが安全に開閉しやすい引き戸になっていること以外、設備は一般家庭と変わらない。 正さんは1階で鍼灸院を営む。好子さんはあん摩マッサージ指圧師の資格をもち、東京都内の大手企業で社員の疲労回復を担うヘルスキーパー(企業内理療師)として働く。平日は毎日、都心の職場まで片道2時間かけて電車通勤している。 「朝は6時20分に家を出て、夕方までフルタイムで働いています。通勤を始めたころは、改札で半年分の定期を落として失くしてしまうなど苦労もしましたが、もう20年以上そういう生活なのでさすがに慣れましたね」 好子さんは家事も一通りこなす。包丁やガスコンロの扱いなどは盲学校(現・特別支援学校)で学んだ。電子レンジや炊飯器は、音声ガイド機能のついたものをそろえている。
料理は野菜炒めやポテトサラダなどシンプルなメニューが中心だ。大皿に彩りよく盛り付けるのは難しいので、小皿に取り分けて出すことが多い。思わぬやけどを防ぐため、粗熱を取ってから食卓に並べるのも、宮城家ならではの工夫だ。 掃除は、掃除機のパイプを外し、ホースの先に直接ノズルを付け、床を触って確かめながら行う。「そうしないと、落ちている靴下を吸い込んじゃったりするから」 もちろん見えない中での家事は完璧ではないが、「今は国の制度でヘルパーさんが来てくれるので、ふだんの生活で困ることは特にないですね」と話す。
猛反対された結婚
正さんと好子さんは、埼玉県内の盲学校の高等部で出会った。1985年、正さんが24歳、好子さんが22歳のときに結婚した。ともに若く、視覚障害を抱えていたため、親たちは当初、結婚に猛反対だった。好子さんが振り返る。
「夫婦そろって車も運転できない、文字も読めない。いったいどうやって生活していくつもりなんだ、と親たちは大反対。でも、当時はとにかく親元を離れて自立したかった。全盲の私は授かりでもしなければ、一生結婚できないとも思いました」 2人は計画的な“授かり婚”で周囲の反対を押し切った。