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遊びに遊び…あわや大関陥落 横綱が見えた途端、悪い虫が目を覚ます 稽古もせずキタや銀座、ハワイに韓国まで【北の富士コラム】

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中日スポーツ

◇コラム はやわざ御免 北の富士場所12日目

 千秋楽の打ち上げパーティーは料亭「花月」の大広間で盛大に行われました。親方にとっては大阪は地元のようなもの。大勢の後援者、ファン、どさくさに紛れて知らない人まで騒いでいます。予想もしていなかった私の優勝をみなさん本当に喜んでくれました。  翌日の新聞には早くも「北の富士、連続優勝で横綱に昇進か」「準優勝でも内容次第では昇進」の大見出しが躍っています。私も「ヨシッ」と思ったのですが、そうはいきませんでした。この運命の分かれ目のような大切な時に、私の悪い虫が目を覚ましたのです。  優勝したなら当然、ご祝儀が入ります。相撲に限らず人気商売とはそんなものです。遠慮しても無理やり置いていきます。大阪の人は「どけち」と言う人がいますが、とんでもないうそです。大阪人は気分がいいと、惜しげもなく金を出す気質を持っているのです。だから大阪場所は大好きです。これは冗談。とにかく驚くほどいただきました。  後援会の会計の人が翌日持ってきましたが、中型のかばんがパンパンに膨れ上がってました。お金の事を言うといやらしいので余り言いたくありませんが、1967(昭和42)年のころです。  人間慣れないお金を持つと、とんでもないことになると言いますが、まさにそれです。すでに私は大関で結構な給料をいただいてはいましたが、これほどの現金を見たのは初めてです。これで完全に狂いました。連日連夜、数人のお供を連れ、遊びまくります。飲みにいくと、ホステスがキャーキャー寄ってきます。もてたと勘違いし、連日の豪遊が続きます。稽古の事なんぞは全く頭にありません。  ただれた生活が続き、稽古もろくにしないまま夏場所を迎えます。先場所優勝している変な自信だけはあるのだが、勝てるわけがありません。結果は5勝10敗。見事な惨敗です。普通の人なら、ここで大いに反省するところですが、私には反省の色がありません。また遊びが続きます。北の新地から遊びは銀座に移ります。日本一の歓楽街は男の遊び場の頂点。男と生まれたからには、花の銀座で自分の金で遊びたいと若いころから思っていたので、ようやく夢がかなったと思いました。日本だけでは飽き足らず、ハワイや韓国まで出かけました。  もう手がつけられません。師匠や友だち、後援会長にまで「稽古をしろ」と説教されましたが、聞く耳を持ちません。遊び疲れて稽古なんかできるはずがない。名古屋場所も7勝8敗と負け越しです。今は連続2場所で負け越すと、関脇に落ちますが、当時は3場所でした。まだわずかに運が残っていたのでしょうか。気がついたらあれだけあった金も底をつきそうです。「土地でも買っとけばよかったかな」。虫のいいことを考えても後の祭り。けつに火がついた私はようやく稽古を再開します。  相当、体の方はなまってましたが、若いからどんどん持ち直しました。次のかど番のかかった秋場所は10勝5敗ときっちり2桁の星を挙げました。かど番脱出。ちょっと稽古をやれば簡単なものだと、反省の色を見せないのが私の素直じゃないところです。  今度は遊ぶ金がなくなり、稽古に身が入らないまま大関に3年近く居続けます。記録を見ると、その間、8勝7敗が2度だけで、あとは9勝、10勝、時には12勝の成績を残しているのです。平均すると決して大関として恥ずかしい星ではないのです。最近の大関はかど番が珍しくありません。1場所に1人は必ずかど番大関がいます。それに比べると、私の成績は立派なものです。  それでも当時の私はすっかり大関の座に満足し、横綱昇進なんかは考えた事もありませんでした。まだ26歳(68年ごろ)と若いのに、あのころの私はいったい何を考えていたのでしょう。「後悔先に立たず」と言いますが、私は決して後悔はしていません。あの狂ったように遊んだ時代が何らかの足しになったのかもしれません。友だちはみなそう言ってくれます。それだけで私は救われます。それでは、いよいよ明日は引退日を迎えます。(元横綱)

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