南シナが再び緊張「中越戦争」とはどんな戦争?
お互いに勝利を宣言した中越戦争
1979年2月17日、約20万人の人民解放軍が侵攻を開始。ベトナム北部のラオカイなどを制圧していきました。これに対して、ベトナム軍はその大部分がカンボジアに展開しており、当時北部には約7万人の兵員と約5万人の民兵しかいなかったといわれますが、ベトナム戦争期の豊富な実戦経験とソ連からの軍事物資で抵抗しました。 そんななか、3月6日に中国軍は突然、「懲罰の完了」を宣言して撤退を開始。この背景には、ベトナムによる抵抗の強さ、中国軍の指揮命令系統に問題があることへの懸念、さらにソ連の介入への警戒などがあったとみられます。 3月16日、中国軍の撤退が完了すると、両国はそれぞれ勝利を宣言。ベトナム側に約3万人(中国発表)、中国側に約2万6千人(ベトナム発表)の犠牲者を出した戦闘は、これによって終結したのです。
中越戦争の再来?
インドシナ半島の勢力圏をめぐって、ベトナムと中国の間には根深い対立があり、中越戦争はこれが冷戦構造によって発火したものといえます。 その後の両国間では、南シナ海の領有権をめぐるスプラトリー諸島海戦(1988)など、軍事衝突が散発的に発生しています。特に最近では、海底油田の開発に関連して南シナ海での領土問題が再び浮上したことが、もともとある両国の対立をさらに加熱させたといえるでしょう。 現在、両国間の経済関係は、中越戦争の頃と比較にならないほど発達しており、特にベトナムからみて中国は輸出で第3位、輸入で第1位の貿易相手国(IMF)。それにもかかわらず、対立が容易に収まる様子がないことからは、これまでに積み重なった両者の相互不信をうかがうことができるのです。 (国際政治学者・六辻彰二)