Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

広島、昭和の黄金時代。監督としてカープを率いた古葉竹識の現役時代。わずか10分間の首位打者と悪夢の1球/プロ野球20世紀・不屈の物語【1958~71年】

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。 俺の恩師、古葉竹識さんのしびれる言葉/川口和久Webコラム

原点はアマチュア時代

 広島の“昭和の”黄金時代については紹介したばかりだ。初優勝の1975年はルーツ監督の就任1年目。日本のプロ野球でプレーした経験はなかったものの、前年に広島の打撃コーチとして招かれ、オフに昇格した。優勝とは無縁だった広島の改革に取り組み、広島の“赤ヘル”は現在まで続いているが、チームカラーに赤を採用したのはルーツ監督の功績だ。だが、判定を巡るトラブルを契機に、わずか15試合で辞任。改革は頓挫するところだったが、長きにわたって広島でコーチ、二軍監督を歴任し、地元の出身でもある野崎泰一が4試合で監督を代行して3勝1敗で切り抜けると、正式にバトンを継承したのは古葉竹識監督だった。  古葉監督が率いた時代の広島は、キャンプでの猛練習が名物だった。そこから高橋慶彦や山崎隆造、正田耕三らスイッチヒッターが巣立ち、のちの機動力野球を引っ張っていくことになるのだが、その采配の原点は古葉監督のプロ入り前にまでさかのぼる。熊本県の出身で、名門の済々黌高で甲子園に出場、専大へ進んだが、家計を考えて1年で早くも中退して、社会人の日鉄二瀬へ。率いていたのは濃人渉監督で、やはり猛練習で鳴らして“濃人道場”と呼ばれたチームだった。その横顔は、濃人監督が有望な選手をプロへ推薦する、いわば“プロ養成所”。ここで2年間、特に守備を徹底的に鍛えられた古葉は、58年に広島へ入団した。  巨人の長嶋茂雄はプロの同期になる。開幕戦から三塁のレギュラーを張った長嶋と同様に、古葉も遊撃手として開幕戦に先発出場。だが、遊撃手の米山光男が見せる流れるような守備に、「これは勝てない。バットで勝負するしかない」と思い、まずは打撃でアピールした。ただ、先に評価が定着したのは守備。のちに監督のバトンを託すことになる阿南準郎(潤一)との三遊間、二遊間は定評があった。  打撃の開眼はプロ6年目、63年だ。打撃3部門の本命は長嶋。前年はチームメートの王貞治が初の本塁打王となり、長嶋は王と打点王を分け合ったのみで、4年連続の首位打者もかなわず。雪辱に燃える長嶋は序盤から快調に飛ばし、打率は6月から独走態勢に入った。そこに食らいついたのが古葉だ。オールスター第3戦(神宮)でMVPに輝いて勢いづくと、8月から9月は打率.407と打ちまくり、9月を終えた時点で長嶋が打率.349、古葉は打率.334。10月6日の巨人戦(広島市民)では、試合中の10分間だけながら打率.3431でトップに立った。その後は、ふたたび長嶋に食らいつく古葉の構図に。だが、古葉には悪夢が待っていた。

【関連記事】