日本に「パワハラ」や「クレイマー」がはびこる理由
<「パワハラ」や「クレイマー」も「甘え」に起因>
もっとも、「甘え」の暴発がバーチャルな世界に限定されていれば、問題はまだ小さい。しかし、バーチャルな世界とリアルな世界の境界が曖昧になった現在では、「甘え」がリアルな世界に侵攻してくる。それは、リアルの世界での「甘え」と「義理」のバランスの崩壊なので、「甘え」だけが突出する結果になる。 一方、「義理」については、「古臭い」「人権侵害」「老害」「忖度」などと、蔑視する傾向が強いので、「甘え」と「義理」のバランスは崩れる一方だ。 近時、問題にされる「パワハラ」や「クレイマー」も「甘え」に起因している。「ストレスやフラストレーションを解消するためなら、他人を攻撃してもいい」という発想は、「甘え」以外の何物でもない。 <「バランス」は「正しさ」の処方箋> もっとも、実際には、この種の「甘え」は「正義」という形で発現することが多い。「社会の正義」「地域の正義」「会社の正義」などだ。しかし、それらの「正義」は、「甘え」をカムフラージュしているにすぎない。 言うまでもないが、「正義」は西洋人が大好きな言葉である。英語に由来する日本語の刑事司法(criminal justice)も、もともとは「刑事上の正義」の意味だ。そこで、イギリスの専門家に「正義とは何か?」と聞いてみた。答えは一言、「公平」だった。正義の中身は「バランス」ということだ。 どこでも「バランス」がキーワードになるらしい。「権利と義務」「甘えと義理」「ギブ・アンド・テイク」そして「正義」。とすれば、「バランス」は社会の正義だけでなく、個人の正義にとっても重要なはずだ。 偏った正義を振りかざす「甘え」を発現しないためには、ストレスやフラストレーションを「正しく」解消する必要がある。その「正しさ」の処方箋が「バランス」なのである。
<「やすらぎ」と「ときめき」>
この点で参考になるのが、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの次の言葉である。 ──神よ、変えられないものを受け入れる平静心と、変えられるものを変えていく勇気、そして、この二つを見分ける賢さを与えてください。 この言葉を筆者なりに言い換えると、「やすらぎ」と「ときめき」になる。困難をしなやかに受け止めるためには、変えられないことをそのまま受け入れる平静心、つまり「やすらぎ」が必要だ。さらに、困難をしたたかに乗り越えるためには、変えられることを見極め、それに立ち向かう挑戦心、つまり「ときめき」が必要だ。「やすらぎ」と「ときめき」の2つがあって、初めてストレスやフラストレーションを「正しく」解消できるのだ。 「やすらぎ」と「ときめき」の関係は、車の正しい運転に例えることができる。「やすらぎ」は、アクセルを踏まないことだが、ずっと踏まないでいると、後続車に追突されてしまう。逆に、「ときめき」はアクセルを踏むことだが、踏み続けていると、先行車に追突してしまう。 正しい運転の仕方が、適切な車間距離を保つことであるように、正しい心の持ち方も、「やすらぎ」と「ときめき」のバランスを保つことだ。それが個人の正義であり、やがては社会の正義につながっていくものなのである。
小宮信夫(立正大学教授[犯罪学]/社会学博士)