那須川天心に挑戦表明の現役プロ中村優也が豪語「ルール次第で7、8割の確率で倒せる」
だが、これらは、すべて8オンスのグローブでヘッドギア無しのルールで行われた場合の想定話だ。 「まだルールの詳細が出ていませんが、正直、ヘッドギアを着用して12オンスのグローブを使うとなると倒れないでしょう。お遊びのスパーになって終わる。確か亀田兄弟の時は倒れない限りドローでしたよね。それだと面白くないと思う。おそらく一人じゃなくて何人かとやるんでしょう。そうなるとなおさら真剣勝負ではなくなる。僕が選べる立場ではないんですが、もしやれるなら、面白くなるルールでしかやりませんよ、ということです。だからグローブは8オンス。体重も僕は、普段の体重が57キロでバンタム級(53.5キロ)で試合を行っていますが、落とさずに彼が主戦場としているフェザー級(57.1キロ)に合わせていいですから」 中村の気持ちはわかるが、JBCのプロモーターライセンスも持たない主催者が行うボクシングイベントで、それをやると安全管理上に大きな問題が生まれてしまう。亀田兄弟の企画の際にも筆者は提言しているが、そもそもプロvs素人に問題はあるのだ。 中村の格闘技人生は小学生の頃の極真空手からスタートした。中学時代にK-1の魔裟斗に憧れ、「魔裟斗がボクシングトレーニングをしていると聞き、将来のK-1のために」と高校でボクシング部のあるところを探しWBA世界スーパーフライ級王者、名城信男らを生み出した名門、奈良工業高に入学。奈良工時代には、インターハイ予選でWBC世界ライトフライ級王者の拳四朗に勝ったこともある。選抜、国体など全国レベルのタイトルとは無縁だったが、「ボクシングにはまって」大阪商業大学へ進む。だが1年で中退。その後、日本プロボクシング協会加盟のジムには入らずアマチュアジムでボクシングを続けた。 「日本のジム制度って選手の可能性を潰してしまっています。ボクサーがセカンドキャリアでうまくいかない理由も、僕はそのシステムにあると考えて、海外での活動の道を選んだんです」 JBCライセンスを取らず海外のリングを主戦場にするフリーランスボクサーを選択した。2012年にプロデビュー。その都度、現地でラインセンスを受け、タイ、中国、韓国、フィリピンで試合を行い、戦績は22戦16勝(12KO)4敗2分。フィリピンルソン島、タイのローカルタイトルに加えて、いずれもJBC非公認のWBFアジアスーパーフライ級王座、WBCアジアバンタム級王座、ABFアジアバンタム級王座の3つのベルトを巻いた。 ボクシングスタイルは、ここ1、2年はファイターに変貌している。メイウェザーやナジーム・ハメドが好きで変幻自在なトリッキーなスタイルを取り入れていたが、「海外では判定では負けにされます。だからKOを狙うし、あえて危ない距離でボクシングをしています。気持ちを出した面白い試合をしなければ、オファーがなくなるんです」との理由で戦い方を変えた。フックやインサイドからのアッパーがフィニッシュブロー。これもフリーゆえの宿命だろう。