目の前で我が子がー 崖崩れ、愛する子失った母、悔い胸に前に進んだ6年間 私ができること
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2014年8月に77人の尊い命が失われた広島土砂災害。 広島市安佐南区で暮らす平野朋美さん(43)は、自宅裏の崖が崩れ、目の前で幼い我が子2人を失いました。 愛する我が子を守れなかった後悔、抜け落ちていた建築規制、被災した自宅に戻った決意、そして今・・・ 息子の犠牲を無駄にしたくない。 6年前、絶望の淵にいた彼女の心の変化を見つめます。
●2014年 早く逃げていれば…目の前で我が子が崖崩れの犠牲に
サッカー少年だった長男の遥大(はると)くん(当時11歳)。 甘えん坊の三男・都翔(とわ)ちゃん(当時2歳)。 次男・瑛太(えいた)くんと3兄弟は、けんかもなくいつも一緒。 幸せな5人家族に、別れは突然訪れました。 2014年8月20日、未明にかけて短時間に降り注いだ雨は、同時多発的に土砂崩れを引き起こしました。 平野さんの自宅があるのは、広島市安佐南区山本。 この地区では、20日午前2時~3時までの1時間で最大時間雨量55mmを記録。 平野さんも、雨の音に恐怖を感じ眠れない夜を過ごしていました。 午前3時、隣の家の人から避難を促されます。 「避難しよう」 そう決めて実家に連絡しようとしたまさにそのとき、自宅裏の崖が崩れ、大量の土砂が1階に流れ込んだのです。 不運にも、崖側の和室にいた遥大くんと都翔ちゃん2人が、巻き込まれました。 平野朋美さん(当時37歳) 「私の目線くらいの高さまで土があったのでいくら手を突っ込んで探してもなにも引っかかることもないし絶望的な感じだった とにかく消防が来るのを待つしかできなくて」 平野朋美さん 「万が一にも息があるかもしれないから、声をかけるしかないと思って みんなで名前を呼ぶしかない 叫び続けた」 しかし、母の願いは届きませんでした。
平野朋美さん 「信じられないしくやしい」 「ごめんねって…避難を早くしなかった親の責任、私らのせいだと思っているので本当にごめんって…」 仕事にも行けず、外出もできない…絶望を抱えながら、残された次男と夫の3人で避難先のマンションで日々を送っていました。 不明者の捜索、被災地の課題、復興…連日メディアでは新しい「何か」が伝えられる中、我が子を失った平野さんの時間は止まったまま。あの日の後悔はずっと続いていました。