瓶内で40年以上の熟成を重ねた「フランチャコルタ」の驚くべき味わいとは?
40年前に直感していた「長期熟成にも耐える可能性」
その革新性は、1979年から始まっていた。その年に入社した最初のセラーマスターとなるアンドレ・デュボワは、シャンパーニュ出身の経験豊かな醸造家だった。彼は土壌とその中の生物を徹底的に大切にする有機栽培方法を確立。ブドウの価値を高めるワインづくりのノウハウと組み合わせることで、フランチャコルタという特異なテロワールを表現するワインづくりを目指すことに。そして、同社が所有する畑の最も古い区画から最良のブドウを選び出し、長期熟成に向いたワインを作ることに決めた。ザネッラはこう振り返る。 「デュボワは『長い時間だけが生み出せる複雑さ、ふくよかさ、風味』があることを知っていました。同時にフランチャコルタ地方で完熟するブドウに生じる糖度と、夜の寒さがもたらす高い酸味に可能性を見いだした。自身の栽培、醸造のノウハウによって、その名称が確立されたばかりのフランチャコルタというワインが、長期の熟成にも耐えられる、という誰も確認しようのない仮説を確信していたのです。彼は『このボトルの存在を忘れましょう』と言い、79年から特別なボトルをカーヴの中であえてほったらかしにしておくことを決めたのです」 そうして79年から、特別な年にティラージュ(瓶内二次発酵のために瓶詰めすること)されたワインは、長い期間、澱とともに静かに放置されることとなった。もちろん、ザネッラとデュボワは存在そのものを忘れることなく、ある年から少しずつテイスティングし、ワインの飲み頃を探っていった。そうして時は流れ、1990年、デュボワは引退にあたり次の醸造責任者としてステファノ・カベッリを指名。ザネッラとカベッリの毎年のチェックは続き、とうとう澱の上で40年以上の熟成を経て、真にその飲み頃を迎えたと確信するボトルが完成した。1979年のヴィンテージは数量が少なかったが、翌年の80年ヴィンテージ、収量は少なかったものの晴天と30℃を超える夏の暑さによって完熟した、果実味が絶頂に達したピノ・ネロ(ノワール)とシャルドネ、ピノ・ビアンコ(ブラン)から造られたフランチャコルタは6000本のボトリングができた。 このヴィンテージが、カ・デル・ボスコの最上級ラインの中でもトップのキュヴェ「アンナマリア・クレメンティR.S.1980」として、世界に発売されることとなったのだ。