朝日杯翌年に秋天を制覇 時代を先取りしたバブルガムフェロー
【競馬人生劇場・平松さとし】 先日、藤沢和雄元調教師にお誘いいただき、夕食をごちそうになった。 伝説の伯楽との仲も長くなり、自然と昔話に花が咲いたが、今週末に行われる朝日杯フューチュリティS(G1)で思い出されるのがバブルガムフェローだ。 時は1995年。当時は馬齢の数え方が今と違い、生まれたばかりを1歳としていたため、朝日杯3歳Sといっていた時に、勝利したのがこの馬だ。G1を勝つほどの馬だったが、デビュー戦は3着。「いきなり競馬は苦しいと思ってほしくないから…」という師の方針で、藤沢厩舎の馬は2、3戦目で勝ち上がるケースが多かったのだが、バブルガムフェローも例に漏れず。2戦目で初勝利を挙げるとその後、連勝して朝日杯に臨んだ。そして見事に3連勝でG1馬に昇華したのだが、驚かされたのはその際のコメント。 「来年は天皇賞・秋に挑戦します」と言ったのだ。 今でこそ3歳で天皇賞・秋(G1)に挑む馬も増えてきたが、当時は皆無といっていい時代。同世代の菊花賞(G1)へ行くのが既定路線といえた時代に、それもまだ2歳の時にそうコメントしたのだから、私だけでなく多くの報道陣やファンも驚いた。 しかし、本当に驚かされるのはまだ先だった。伯楽はナントこれを有言実行してしまう。翌秋、本当に天皇賞に出走させると、古馬のG1馬であるマヤノトップガンやサクラローレル、マーベラスサンデーといった錚々(そうそう)たるメンバーを相手にバブルガムフェローは先頭でゴールを駆け抜ける。同レースが3歳馬に再開放された87年以降、3歳馬が優勝するのはこれが初めての快挙だった。 「バブルは前進気勢が強いので3000メートル(菊花賞)は合っていないと思いました。それに3歳なら重量面でのアドバンテージもあるので、悩むことなく天皇賞を選択したまでです」 偉業を達成しても「当たり前」というようにサラリとそう言った伯楽は6年後にもシンボリクリスエスで秋の盾をモノにするのだが、それはまた別のお話。また機会があれば紹介しよう。 (フリーライター)