【富山「地名」ケンミン性】中世までは「外山」佐々成政の治世に佳字の「富」に改める《47都道府県「地名の謎」》
日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・? 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️ ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️ この記事の写真はこちら ■「外山」から「富山へ」 《富山県の由来》「外」を佳字の「富」に改める 中世において「富山」は「外山」と記されていた。 その初見は、応永5(1398)年、吉見詮頼(よしみあきより)が能登守護であった父・氏頼(うじより)から譲られた越中国「外山郷」の地頭職を、京都東山の東岩蔵寺に寄進した文書『吉見詮頼地頭職寄進状』とされる。 「外山」が「富山」となったのは、天正9(1581)年、佐々成政(さっさなりまさ)がこの地を治めた時代で、「富山寺(ふせんじ、のちに普泉寺)」の土地に城を築いたことから「富山」の地名が生まれたとされる。 《地名の由来》 ◉今石動(いまいするぎ):石動山の仏像を移転 天正10(1582)年に前田利秀が、石動山の伊須流岐比古神社から、本地仏の虚空蔵菩薩を当地へと移したことによる。 石動山は「いするぎやま」とも呼ばれた。そこに新しいという意味で「今」がつけられ、地名となった。 ◉宇奈月(うなづき):谷の美しさに納得 この地を訪れた人が、水の音や風の響きに心も「うなずき」、身も心も清らかになったという伝承が地名の由来。 「宇奈月」の字は、当地を「宇治や奈良とならぶ名月の地」にしようという思いから、近代になってつけられた。 ◉呉羽(くれは):「呉服」をどう読むか 中国・呉から渡来した職業集団「呉服部・呉織部(くれはとりべ)」に由来した地名とするのが有力。 のちに音読され「御服」「五福」となるが、天明3(1783)年の『三州奇談』には「くれはの宮」としての記載がみられる。 ◉五箇山(ごかやま):5つの谷間に集落が点在庄 川沿いの赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷という5つの谷間に集落が点在し、「五ケ谷間」を「ごかやま」と呼ばれたものが転訛した。 音読する場合、地元では「ゴカヤマ」の「カ」の部分にアクセントを入れ発音される。 (2020年一個人5月号から)
[監修] 谷川彰英さん