初出動が同時多発テロの現場だった元消防士、長く語れなかった苦しみ それでも「子どもには正直でいたい」過去を伝えはじめた
米国同時多発テロ(9・11)から約20年、甚大な被害が出たニューヨークの世界貿易センター(WTC)はいま、新たなビルや商業施設が建ち、鎮魂と復興の象徴になった。一方で被害者たちの20年は、なおも消えぬ記憶や傷、苦しみとの闘いでもあった。世界中がコロナ禍で困難な時期を迎える中、9・11の惨状から立ち上がったニューヨークの人たちの姿に、前を向き続けることの重要性を教わった。(山本大輔) 【写真】米同時多発テロで崩壊、世界貿易センター跡地の今
消えない苦しみへの処方箋
米国同時多発テロ 2001年9月11日、ハイジャックされた民間航空機2機が午前8時46分と午前9時3分にニューヨークのWTCの北棟と南棟、別の1機が午前8時20分に首都ワシントンの国防総省ビルに衝突、米国連邦議会かホワイトハウスを目指していたとされるもう1機が午前10時3分にペンシルベニア州ピッツバーグ郊外に墜落した。 米国へのジハード(聖戦)を宣言していたイスラム過激派のオサマ・ビンラディンが率いる国際テロ組織アルカイダのハイジャック犯計19人による自爆テロ事件で、米国の金融・経済(WTC)、軍事(国防総省)、政治(連邦議会/ホワイトハウス)の象徴施設を狙った大規模な計画的テロだった。日本人24人を含む約3000人が死亡。特にWTCは110階建ての2棟がともに完全倒壊するなど被害は甚大で、史上最悪のテロ事件になった。 「1人では苦しみにあらがえない。私に前を向かせてくれたのは家族だった」 9・11からまもなく20年。多くの被害者や遺族が「思い出したくない」と取材を断る中、ニューヨークの元消防士、ロブ・セラさん(40)は「新型コロナなどで困難に直面する人たちの助けになるのなら」と取材に応じてくれた。 前日に消防学校を卒業したばかりだった。当時21歳だったセラさんの初仕事がニューヨークのWTC、「グラウンドゼロ」だった。爆発した航空機の燃料や建物の残骸が燃え上がり、視界はほぼゼロ。粉じんと黒煙で呼吸がほとんどできなかった。 「救助活動をするには手遅れだった。有害物質が充満し、私も鼻血が止まらず、最後は意識を失った。忘れたくても忘れられない残酷な現場だった」 9・11に命を落とした約3000人のうち343人が緊急対応で現場に駆けつけたニューヨークなどの消防士だった。生還した消防士の多くも心や体に障害を負った。特に有害物質を吸い込んだことによる健康被害は深刻だった。「9・11関連病」と呼ばれる。被害者支援団体によると、9・11に関連して発症したがんなどで死亡した消防士は200人を超え、今も増え続けている。関連病の医療支援をするWTC健康プログラムには一般人も含め10万人以上が登録。心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ人はニューヨークだけで42万人以上と推測されている。 「現場には石綿など多くの有害物質があったことがあとでわかった。それが粉じんや黒煙となって目や鼻、皮膚から体に入ってきた」とセラさん。その後の健康診断では肺活量が79%まで落ち、鼻や鼻孔にポリープが見つかった。今では末梢神経障害で杖や車椅子なしでは動けない。「治療が一生続くことになった。治療を受けるたびに、当時のイメージがフラッシュバックする。肉体的な傷と精神的な傷は連動している。数日前にも元消防士が9・11関連のがんで死んだ。次は自分かと思うと、ただただ怖い」