赤子を抱えてソ連軍の戦車を逃れ、国境を越えた…作者の異様な凄みがにじみ出ている『悪童日記』とは(レビュー)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介 今回のテーマは「日記」です *** アゴタ・クリストフは『悪童日記』(堀茂樹訳)によって独創的な物語の形式を作り出した。それはいわば、日記ならざる日記による物語という形式だ。 どこにも日付が入っていない。日ごとの記録という日記本来のあり方とはやや異なる。だがそれ以上に、主語が「ぼくら」であるという点が驚きだ。主語が一人称複数の日記というのはちょっと聞いたことがない。 主人公にして書き手が双子の男児であるからこそ、そんな書き方がみごと成り立つ。一心同体の二人であるということを、「ぼくら」の日記ほど雄弁に見せつける仕掛けもあるまい。 しかもその文体たるや、雄弁のまさしく対極である。簡素な言葉がぶっきらぼうに並べられていく。 「森はとても大きく、川はとても小さい」 といった調子である。そこには悪事や残虐な事柄も平然と綴られ、読者は驚かされっぱなしだ。その背景に戦争の悲惨や、全体主義国家の恐怖が厚く塗りこめられていることもひしひしと伝わってくる。 原題は「大きなノート」。過酷な世界に投げ出された男児たちは、言葉を書きつけることで生き延びる覚悟を確かめるかのようだ。 それはソ連軍の戦車を逃れ、赤子を抱えて着の身着のままハンガリー国境を越えた作者の境遇と重なる。彼女は亡命先でフランス語を一から学びこの小説を書いた。母語を捨て、歯を食いしばって異言語を学んだ体験がそのまま、作品の異様な凄みにつながったのだ。 [レビュアー]野崎歓(仏文学者・東京大学教授) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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