市民の行動が社会を変える!進化し続ける「台湾のジェンダー観」
2019年にアジア初の同性婚姻合法化を実現し、2020年には国会議員の女性比率がアジア最高となる4割を突破。ジェンダー平等はアジアでトップ*とされる台湾。 【写真】台湾の政治家オードリー・タンも!「LGBTQ+」を公表した著名人たち なぜ、同じアジアの中でも突出したジェンダー先進国となることができたのでしょうか。 今回は台湾・香港・日本・韓国のジェンダー史に関する共同プロジェクト「herstory」に翻訳者として参加し、ノンバイナリーであることを公表している台湾人の林冠妤(リン・グアンユー)さんに話を聞きました。 *国連開発計画(UNDP)による「ジェンダー不平等指数(GII)」が世界6位、アジアではトップに相当するとされた(2019年。国連への加盟が認められていないため台湾政府の独自調査) 《林冠妤さん》 1989年台湾台北生まれのノンバイナリー。台湾国立政治大学法律部卒、大阪大学法学部交換生。幼少の頃から日本の文化が好きで、インターネットを通じて日本語を独学で習得。大学時代から10年間以上日台交流活動に励む。 2016年からはオードリー・タンも参加するシビックハッカーコミュニティ「g0v」「vTaiwan」などのシビックテックプロジェクトや国際交流活動に注力。台湾・香港・日本・韓国の共同プロジェクト「herstory」に翻訳者として参加し、各国におけるジェンダー史を時系列でまとめている。 2021年よりシリコンバレーの中心・サンノゼへ移住。ベンチャー企業の海外進出や政府系法人のコンサルティングに従事。サンノゼ「San Jose Woman’s Club」メンバー。
――今、台湾はジェンダー平等に関してアジアをリードしている存在です。林さんとしてはどのように受け止めていらっしゃいますか?
台湾社会は変化が激しく、そのスピードも速いです。ジェンダー平等に関しても、この数十年でめざましく変化しました。 私の祖母は、女性だからということで、小学校の途中くらいまでしか義務教育を受けられませんでした。その後、戒厳令が解除され、私の母の時代になると一転して「女性は仕事も家庭も両方しっかりこなすこと」が求められました。それでも、台湾の「家は男性が継ぐもので、女性は外に嫁いで出ていく」という伝統的な価値観の下で、母ら女性たちは常に強いプレッシャーにさらされていたと思います。 言論の自由を奪われていた戒厳令が解除された後の台湾では、人権や民主などを訴え、さまざまな社会運動が起こりました。出版社が設立され、デモやイベントが催され、民間のパワーが集結し、社会を変えていったのです。 台湾のジェンダー平等を大きく前進させる分岐点となったのは、2005年に憲法の改正で「クオータ制(格差是正のためにマイノリティに割り当てを行うポジティブ・アクションの手法の一つ)」が導入され、比例区の議員当選者の男女比を同数とすることが定められたことです。 でもその前には、四分の一の「クオータ制」を導入しようと奮闘した台湾女性運動の象徴・彭婉如(ポン・ワンルゥ)さんの存在があります。その彭婉如さんが1996年に失踪し、遺体で見つかった原因は今でも分かっていませんが、私を含めた多くの台湾人は、そうした偉大な先人たちが少しずつ獲得してくれたものを受け継ぎ、次の世代にもっと良いものを残していこうという考えを持っていると思います。